2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け(せいてんをつけ)』の主人公で、新一万円札の顔となる渋沢栄一は、人生の指針に「論語と算盤」(道徳と経済の両立)を据えていた。金儲けは卑しいとされた明治初期に、官僚から実業家に転身して、道徳と経済の大切さを説き、日本経済の発展の礎を作った。このコラムでは、渋沢流「論語(*1)と算盤」を実践することが、なぜ今、投資家とのコミュニケーションで求められるかを考えていきたい。
(*1)論語:孔子の道徳観について弟子達が記した中国の古典。日本では「温故知新」や「四十にして惑わず」等の名言が知られる
株式価値向上への道
上場企業の経営者がガバナンス改革で成し遂げたいことのひとつが、安定株主の獲得による株式価値の向上であろう。
海外投資家から、日本企業はガバナンスに課題があると指摘されて久しい。ガバナンスへの取組み不足は、日本企業の株式価値が低いままである原因の一つとなっている。2014年の伊藤レポートによって「ROE(自己資本利益率)8%」や社外取締役の導入等のコンセンサスが形成されて以降、徐々にガバナンスへの取り組みが改善されたとはいえ、欧米の水準に追いつくにはまだ道半ばだ。海外投資家が特に不満を感じる点が、経営者の資本コスト(企業の資金調達に伴うコスト)に対する意識・リテラシーと説明不足だという(*2)。投資家は、企業の事業活動が価値創出に結びつくことを、資本コストを軸に説明することを、経営者に求めているのだ。
そこで、渋沢流「算盤」を投資家とのコミュニケーションに取り入れることが必要になってくる。経営学の父・ドラッカーの言葉にも、”Until a business returns a profit that is greater than its cost of capital, it operates at a loss. (*3)(筆者訳:事業は資本コストを上回る利益を上げない限り、赤字である)”とある。資本コストを軸に現状と今後の経営戦略を説明することが、昨今のガバナンス改革で求められる投資家コミュニケーションの形なのだ。
ところで、資本コスト経営とは一体、どんな考えによるものだろうか?
算盤≒資本コスト経営で、価値創出を見える化
資本コスト経営とは、資本コストを上回るリターンをあげることを目指す経営スタイルのことで、ROEやROIC (ロイク、Return On Invested Capitalの略で、投下資本利益率を指す)等のKPIを用いる。
資本コストには、株主資本コストと、債権者への利息費用を加味したWACC(Weighted Average Cost of Capitalの略で、加重平均資本コストを指す)がある。ROEやROICが資本コストを上回った差分が、企業が(実質的に)創出した価値であり、それぞれ、エクイティスプレッド、ROICスプレッドと呼ばれる。
上場企業の経営者は、中長期的に株を保有する意志のある投資家に株を買ってもらいたい。投資家は、多数の投資商品の中から比較的ハイリスクな株式を選んで投資するなら、それなりのリターンを求めたい。このとき、投資家が求める最低限のリターンの期待値が、(株主)資本コストである。そのため、経営者は自社が手掛ける事業のリターンが資本コストを超えるように組織を導いたうえで、自社が創出した経済的価値を見える化することが、投資家とのコミュニケーションの場面で求められるのだ。
しかしながら、いつでもこの最低限の期待値ラインを超えられるとは限らない。イノベーション創出のための準備期間や経済危機時など、ROEやROIC等の指標の悪化はいつでも起こり得る。どう工夫しても事業のリターンが資本コストを超えられない時には、資本コストそのものを下げる発想が必要になる。そこで、渋沢流「論語」の出番だ。
論語との合わせ技で投資家の期待値調整 渋沢が生涯の指針としていた「論語」は、現代の企業においては、企業がビジネスを通してどのような社会を実現したいかといった社会的価値を示す経営理念やWay等に置き換えることができる。近年、ESG(Environment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)の略)への関心の高まりを受け、経営理念やWay、あるいは経営戦略の中核に、ESGを組み込む企業が増えて来た。
社会課題解決のためにESG経営へと舵を切る、あるいは、イノベーション創出のための研究開発費が先行する間、利益が圧迫されるのは致し方ない。だが、たとえ素晴らしい活動をしていたとしても、不言実行では投資家に理解されない。経営理念を具現化し持続的に成長するために必要な事業活動だとしても、その成果がROEやROICに反映されるのに数年かかると見込まれるのであれば、そのように説明するべきである。
投資家がその説明に納得すれば、投資家は最低限の期待値、つまり、(株主)資本コストを下げ、その代わりに将来のリターンを見込んで株式を保有し続けるだろう。納得しなければ、機を見て売却するだけの話だ。
このように、理念やWayと資本コスト、つまり、「論語と算盤」の合わせ技は、投資家の期待値を調整するのに役立つ。投資家からもそのようなコミュニケーションを期待されている(*2)。
100年前の知恵が今、企業経営の現場であらためて注目されるのは、まさに、温故知新だ。渋沢流「論語と算盤」の知恵を活かしてガバナンス改革を実践する企業に、今後も注目していきたい。
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(2)柳良平「CFOポリシー:財務・非財務戦略による価値創造」、中央経済社、2020年、pp.20~25、pp.34~41 (3)Peter F. Drucker, “The Information Executives Truly Need,” the Magazine (January–February 1995), Harvard Business Review(2021/1/8 アクセス)
(執筆者:諸井 美佳)GLOBIS知見録はこちら