祖父が創業した酒屋の三代目として家業を引き継ぐ傍ら、フランチャイズ事業を行う法人を立ち上げ、コンビニ経営から外食事業へ業態を変遷してきたのがシーウェイズの山本駿介社長だ。「企業経営はカメレオンでいいと思っている」と話す山本社長は、世の中の流れに合わせて会社を存続させることを常に意識してきた。

(※2020年12月号「未来のメガフランチャイジー」より)

山本 駿介 社長(50)
(画像=山本 駿介 社長(50))
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山本 駿介 社長(50)
やまもと・しゅんすけ
1970年生まれ。1989年高校卒業後、家業の三河屋山本商店に入社。三河屋山本商店でam pm、牛角を手掛ける一方、個人でもサンクスを経営。2004年シーウェイズを設立し、牛角、串カツ田中、ダンダダン酒場などを複数店展開。

酒屋の三代目としてキャリアスタート

シーウェイズの前身となった三河屋山本商店が創業したのは昭和17年。祖父が西荻窪で立ち上げた酒屋まで遡る。祖父と祖母の二人三脚で始めた酒屋は、その後10年も経たない内に現在の本社のある上井草にも出店し、小さいながらも順調な経営を行っていた。

そのような姿を幼少期から見ていた山本社長は、自身もいずれ家業に入ることを想像していた。そして高校卒業と同時に入社。当時は店舗での小売りと地元家庭宅への配達業務をメインとしていた。近隣飲食店への納品も一部あったが、創業者である祖父が掛け売りを嫌ったため、父親の代になってもなかなか一気に売上を伸ばすことが難しい状況でもあった。

「当時は父親も売上を伸ばすために色々と考えていました。ある日、たまたまテレビで『自動販売機はこれから何兆円産業だ』というのを見て、自動販売機での飲料販売を強化しよと。近隣のスポーツセンターや寮、建売住宅の建築現場に行って設置の営業を行っていました。母親の実家が運送業を行っていて佐川急便に土地を貸していたことから、そのご縁で佐川急便のターミナルに設置させてもらったこともありました」設置した立地が良く、当時はまだ競合ベンダーも少なかったことからこれが大当たり。最大で80台の自動販売機を設置し、その一台当たりの販売本数も相場の3〜4倍を記録したという。

「テナントでないから粗利率も高いですし、人件費もかからない。酒屋の売上も一番売った時で4億円ぐらいあったので、この頃は良かった時でしたね」

コンビニ経営で立地の重要性知る

その後、三河屋山本商店に転機が訪れたのは1997年。山本社長が27歳の時だった。きっかけは、ある日飛び込み営業に来たコンビニの営業マンの話だった。実はそれ以前から大手コンビニの開発担当者から同様の提案を受けており、既に2軒隣にはセブンイレブンも営業していた。

そのため、同社でもずっと断り続けていたが、その日訪ねてきたampmの担当者が提案してきたのは、「改装費を本部で負担する」という話だった。改装費と言っても、当時は2000万円くらいかかる費用だったので、そのメリットは大きい。「父親に話をしたところ、それだったらいいかと言い出した」(山本社長)ということもあり、コンビニ経営に参入することとなる。

「当初はしょうがないなと思いましたが、一方でラッキーだなとも思いました。というのは、私はずっと酒屋をやり続けたいとは思っていなかった。当時の酒屋は、自分が怪我をしたら代わりがいない状態だった。もしそのような状況で怪我をしてしまったら、結局食いっぱぐれてしまう。ですから仕組みがあるものをやりたいと思っていました。コンビニだったら私がやらなくても人がやってくれる仕組みがあるわけですから」

そしてam pm ブランドでコンビニエンスストアの経営を始めたが、もっと店舗数を増やしていきたいと思っていた山本社長は、「新大久保エリアで出たサンクスの出店計画があるけど経営しませんか?」と問屋から紹介を受け、三河屋山本商店とは別に、個人事業主の名義でシーウェイズの前身として営業を開始。その後も新宿の歌舞伎町でもう1店舗出店するなど、一気に多店舗化を進めた。

しかし、新たに始めたコンビニエンスストア事業はなかなか上手くいかなかった。結局、am pm は近隣にセブンイレブンがあったので鳴かず飛ばず。契約更新にあたってはam pm は更新しなかった。また、サンクスの新大久保店は15年経営したが、11年目に近くにセブンイレブンが出来てしまって売上が急減。歌舞伎町店も売上は上がるが、Cタイプ(※開業資金が低額である一方、月々の本部への支払いが多くなる契約)だから全然利益が出ず、また、万引きも多く、3カ月で100万円ほどの被害があったという。

「一番実感したのは、コンビニは小売業というより立地や環境のビジネスであるということ。接客は悪くなければそれなりなんです。それよりも要は環境によって決まるので、どんなに努力しても他社が来たら絶対に勝ち目がない。僕は小売業とは思ってないですね」

伸びるブランドには真っ先に加盟

コンビニ事業で辛酸を舐めた山本社長だが、その間、家業の三河屋山本商店では焼肉業態の牛角も経営していた。とはいっても実質的に両社のトップであった山本社長は、コンビニを経営する傍ら、売上を補填できるような新規事業を模索していた。

「結局、僕は飲食業をやりたいと再認識しました。高校の時も飲食店でアルバイトをしていましたし。また飲食業は付加価値も付けられる。酒屋だとどこで買っても値段は一緒で、付加価値が付けられない」

当時の牛角はまだ店舗も少ない頃」で、出店すれば爆発的に売上が上がった時代。山本社長は上井草店だけではなく、シーウェイズとしてその後も幡ヶ谷や初台と出店を重ね、徐々に業績を盛り返していった。 そして7年前には、串カツ田中に加盟。当時同ブランドはまだ店舗数が少なく、同社が加盟した店舗が19店舗目だった。串カツ田中を知ったのは、地元の荻窪に出店していた店舗や牛角の初台店へ通う途中の笹塚店で見かけていた大繁盛の様子だった。そして同社がフランチャイズ展開を行っていることを知った山本社長は即座に本部へ連絡し、加盟を決意。

またその翌年には、知人を介して知ったダンダダン酒場(現:肉汁餃子のダンダダン)のFC店募集にも応募。2店舗限定でFC募集を開始した内の1店舗として加盟をする。このように、同社は今後飛躍の可能性のあるブランドに着目し、いち早く加盟を行っていった。

「地元で出店しようと考えた時に、まず成熟したブランドは出店余地がない。当社はそこまでお金もありませんし、地方に出店できる余裕もありません。そう考えると、これから売れそうなブランドをなるべく近場のいい立地で抑える。いいブランドというのは、立地もすぐに無くなってしまいますから」

コロナ禍でも新業態に着手

そんな同社だが、今年の6月25日に、「らぁめん和來」というラーメン店をオープンした。同店は、ラーメンのライセンスチェーンであるINGS(東京都新宿区)が展開するフリーネーム型のチェーンである。ラーメン店は短時間の滞在であることから、コロナ禍でも同社の店舗の売上は堅調だ。現在の月商は約500万円で営業利益は約20%。投資回収期間も1年程なので、来春に向けて増店の準備にも取り掛かっているという。

▲ 今年オープンした「らぁ麺和來」の外観
(画像=▲ 今年オープンした「らぁ麺和來」の外観)

「フランチャイズのメリットは、業態の開発費をかけずに売れる業態を扱えること。FCというのは『こんな立地でこんなに売れてるの?』というブランドだからこそ、チェーン展開できる。あとFCチェーンの場合はある程度情報が開示されるので、他店との比較対照ができる。仮に他店が売れていて自店の売上が低かった場合、何か問題があるな、ということが分かるわけですし、それが努力目標にもなる。こうした点が、フランチャイズのメリットだと思います」