「学習」と「科学」の出版社~大人の付録で再ブレーク
福島県に住む氏家麻梨菜さんには、仕事と子育ての合間にやっていることがある。自作のポエムを乗せた手作りのメッセージカード作り。小さな活版印刷機を使って作る。ボードに活字をはめ込んで、ローラーにインクをなじませ、紙をセット。活字にインクを付けて印刷する。文字のかすれ具合が気に入っているという。
この印刷機は「大人の科学マガジン」の付録。「本屋さんで見かけて。思っていた以上にクオリティーが高いものが出来上がった」と言う。
「大人の科学マガジン」を出している学研。学研と聞いて思い出すのが教育雑誌の「学習」と「科学」。いまブームとなっている「大人の科学マガジン」はその大人版というわけだ。
この号は10万部以上発行したが、買った人の7割は女性だという。
「大人の科学マガジン」で爆発的に売れたのがプラネタリウム。プラネタリウム・クリエーターの大平貴之さんが監修した本格派で、累計60万部を超えるベストセラーになった。
付録は全て組み立て式だが、詳しい説明書が付いているから、工作が苦手でも安心。編集者が自ら試作するから、思い入れも強い。
「たくさんの人にいっぱい届けたいというより、少なくても、深く刺さるものを作りたいというのがあります」(「大人の科学マガジン」編集長・吉野敏弘)
3月26日には編集長が構想に5年もかけた付録がいよいよ発売になる。それがレコードメーカー。音源につなげると、カッターが溝を刻んで録音できる。すでに通販サイトで1位になるほど予約が殺到している。
コアなファンを狙う学研には、空前のお城ブームを後押しする「日本100名城に行こう」というベストセラーもある。シリーズ累計80万部も売れ、旅行ガイド本で1位になったことも。マニア心をくすぐるのは、城を攻略した証にスタンプが押せるスペースがあるところだ。
さらに熱狂的なファンがいる雑誌が、超常現象などを扱うミステリーマガジン「ムー」。そのファンの1人が、大ヒット映画『君の名は。』や『天気の子』で知られるアニメ監督の新海誠さんだ。
「子供の頃、表紙が怖かったのは覚えています。必ず目が書いてある。この目に見られている気がして、部屋の中のとにかく目が合わない場所にしまっていた」(新海さん) 最新作『天気の子』にも「ムー」を登場させるシーンがある。
「『こういうことってあるわけないじゃん』と半分笑いながら読んで、でも『もしかしたらあるかも』とか。実際はどうなんだと好奇心の入り口になる可能性がある。そんなこともあって『ムー』を映画の中に出させていただいてます」
他にも、教育からファッションまでさまざまなジャンルを出版している。
「学習」と「科学」の休刊~出版社から大変身
ピーク時の1979年には、「学習」と「科学」だけで年間670万部。会社全体の売り上げは1000億円と業界トップを走っていたが、少子化などで購入者が激減。売り上げは下がり続け、2009年に「学習」と「科学」は休刊する。
ところが翌年、宮原博昭(60)が学研ホールディングス社長に就任すると、10年連続増収に転じ、去年は1400億円を叩き出したのだ。
ライバル出版社、集英社の堀内丸恵社長は宮原を「出版界で一番バイタリティーがある、エネルギーがある。ちょっと元気をもらっています」と評する。
「一番大きい改革の柱は、少子高齢化の日本の中でどう戦うかです」と言う宮原は、ジリ貧だった学研をどう改革・復活させていったのか。
宮原は、学習塾の「学研教室」を約1万5000カ所に増やした。
日本卓球界のエース、張本智和選手(16)は小学1年生から学研教室で学び始めた。忙しくても学べる秘密が、好きな時間に通え、個人のレベルに合わせた教材があること。子供たちは自分のレベルに合わせた問題を自力で解いていく。分からないところがあっても先生はすぐに答えを教えず、自分で考えることを重視している。
「まず、諦めない。最後まできちんと100点になるまでやる。こちらで『これはこうでこうだからこうですよ』と説明するのではなくて、こちらが質問して、お子さんに答えていただくことを心掛けています」(岡本敦子先生)
また学研は意外な分野に進出する。神奈川・藤沢市にあるサービス付き高齢者向け住宅「ココファン藤沢SST」。月々の費用は約16万円から18万円(生活支援サービス費などを含む)。有料老人ホームに比べて初期費用の安さが人気だ。入居者の今井芳子さん(88)は、「学研という名前にも引かれて。自分の選択は間違ってなかった」と言う。
この「サ高住」には「教育の学研」だからこそできる取り組みがある。入居者が熱心にやっていたのは、お手本をなぞって字を書く脳を活性化させるプログラム。「上手な字を書くのではなくて、お手本の文字を正確に写し書きすることによって脳が活性化されると言われています」と言う。
1階には保育園が併設されており、自然に子供たちと入居者の交流が生まれる。さらに夏祭りなど、定期的に交流の場を設けている。
「いつもお話をされない方も、多世代交流の時だと言葉が出る。どんなリハビリよりも笑顔が出るし、言葉が出ます」(「ココファン藤沢SST」事業所長・佐藤奈緒)
学研が手がける高齢者住宅は今や1万3000室と業界トップクラス。教育事業と並んで、高齢者福祉が収益の二本柱となっているのだ。
異色の出版社、波乱の歴史~「学研のおばちゃん」秘話
学研の発展を支えた「学研のおばちゃん」。その一人、埼玉・春日部市に住む浜野秀子さん(70)には大事にとってあるものがある。子供や孫が使っていた「学習」や「科学」。25年間、毎月4、50軒のお宅に学研の本を配達していた。「当時テレビCMをやっていたので、私が通るとその歌を歌う人がいて、面白かったです」と言う。
学研は戦後まもない1946年、そば屋の2階を間借りして始まった。小学校の元教師だった創業者の古岡秀人は、「戦後の復興は教育をおいて他にない」という理念を持っていた。それが「世のため、人のためになる」と考えたのだ。
当時、使われていたのは、戦前の教科書を墨で塗ったもの。そこで作ったのが、学校の授業を補う雑誌「学習」だ。その後、1963年には「科学」を発売。売り上げの起爆剤として考え出したのが付録だった。それにはこんな事情もあった。
「最初の頃は、理科の理科室においてあったような実験道具でした。当時、理科の授業で実験をやろうにも、実験器具が足りなかったので」(学研・西村俊之)
そんな学研には創業当初から逆風が。他の出版社に比べ歴史が浅いため、正規の販売ルートでは扱ってもらえないのだ。そこで編み出したのが、「学研のおばちゃん」が届けるという独自の販売方法だった。
それが功を奏して、1979年ピーク時には「学習」と「科学」合わせて670万部。小学生の3人に2人は買っていたという。子供たちが楽しみにしたのは毎月の付録。付録を作るのには涙ぐましい努力があったという。
例えば岩石標本の不足には本物の石が入っているが、「それを集めるために編集者が鉱山まで行って、『こういう石が欲しいんです。』という話をして、それを編集者、下手すると編集者の家族総出でカチカチ割ってこの大きさにしたという話を聞いています」(西村)。
だがやがて、学研に少子化という逆風が吹き寄せる。20年近く売り上げは下がり続け、2009年には「学習」と「科学」は休刊に。
そんなドン底の時代に社長に抜擢されたのが宮原だった。
パイロットを目指した男~非正規社員から社長に
宮原は防衛大学校に進学し、航空自衛隊のパイロットを目指していたという。
「お袋の教育が一番じゃないですか。親父も厳しかった。ちゃんと世の中のためになる、命懸けで仕事するような男になりなさいと、小さい頃から言われていた」(宮原)
しかし、怪我でパイロットの道を断念。27歳の時に学研に入社する。正社員としての採用ではなかった。兵庫県の地域限定社員として学研教室の新規開拓を担当した。
ところが1995年、阪神・淡路大震災が起こる。多くの学研教室が倒壊し、授業もできない状態に。生徒も4人亡くなった。宮原はある生徒の葬儀が忘れられないという。小さな棺の中には生徒の思い出の品々が。その一つに思わず絶句した。
「棺の中に一番好きなものとして親御さんが入れられたのが、学研の図鑑だった。何とも言えない気持ちですよね。小さい棺なんですよ。すごくつらい思いでしたね」(宮原)
その後宮原は、本社に「被災した生徒の月謝を免除してあげられないか」と提案した。だが、幹部の答えは「それは君の立場で考えることじゃない」だった。
組織を動かすには立場が必要だ。そう思い知らされた宮原は必死で働き、営業のトップに。兵庫県限定の担当から、関西地区の担当、さらに西日本、そしてついに全国を統括するようになる。2003年に正社員となり、その7年後には社長に登りつめる。
ドン底の学研で宮原が見つめ直したのは「世のため、人のため」という創業の精神だった。そこで乗り出したのが、出版とは無縁の高齢者福祉の分野。ますます深まる高齢化時代に「何が必要か」を見据えてのことだ。
今では認知症の予防にも取り組んでいる。
埼玉・さいたま市の学研グループ メディカル・ケア・サービスで行われていたのは、脈絡のない動作を口と手で同時に行うことで脳の活性化を促すプログラム。参加者にはMRI検査を受けてもらい、そのデータを島根大学に送る。半年間のプログラムが、脳に与えた影響を解析するのだ。
「何年後にどのくらいの確率で認知症になるか。もしくはただ忘れっぽい問題のない人なのか。それを判別することで、認知症を予防できることになると思います」(島根大学医学部・長井篤教授)
さらに、精密機器メーカーの島津製作所とタッグを組み、脳のさまざまな部分の血流量を測り、認知症の早期発見につなげようという試みも行っている。
度重なる逆風が学研をフレキシブルにしたのだ。
子供が英語ペラペラに?~話題の「東京英語村」
東京・お台場に、学研が東京都などと組んで、「東京英語村」という英語を学べる施設を作った。
ただの英語教室ではない。言うなれば「英語版キッザニア」。「飛行機の中」「ホテル」など、9つのシーンで実践的な英語体験ができる。リアルなシチュエーションが英会話の向上に役立つという。
子供がターゲットだが大人も利用している。明確な目標を持って来る人もいる。こちらの女性は、訪日外国人のガイドをしてみたいという女性は「クリニック」へ。外国人の症状を説明していた。「ホテル」で会話をしていた塾の英語教師の女性は「子供たちを連れてきたいので、まずは自分が。実際に使える英語をいろいろな場面で挑戦できるので、すごくよかった」と言う。
この施設を宮原は、海外にも展開したいという。
「第二外国語として英語を学んでいるミャンマー、タイ、ベトナム、インドネシア、マレーシアにこうゆう施設を作りながら、アジア、世界に進出していきたい」
~村上龍の編集後記~
学研は業界の異端児だった。日本の出版社は、文芸・文学、思想、辞書などを軸として近代化に貢献してきた。だが、成熟社会で、役割が曖昧になりつつある。学研は、戦後、取次や書店から無視される中、創業した。すでに近代化は最優先ではなく、出版はビジネスとなった。
経営が崩れそうになり、トップに就いた宮原さんは、医療・福祉など他業種に舵をきり、同時に創業の精神の復権、原点回帰を目指した。防衛大卒、18年間非正規社員だった宮原さんも異色の経営者だ。異端児は、常に危機感を持ち、サバイバルへの道を探る。
<出演者略歴>
宮原博昭(みやはら・ひろあき)1959年、広島県生まれ。1982年、防衛大学卒業。2003年、学研教室教育事業部長。2010年、代表取締役社長就任。
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