これまでの人事制度や人材育成の方針を見直して、社員の自律的なキャリア形成を促す選択型の研修を増やしたり、業務に直結するスキルを獲得するためのトレーニングを拡充する企業が増えている。人材不足が慢性化する中、事業成長に必要な高度専門人材の確保を急ぐ企業の取り組みを取材した。(文:日本人材ニュース編集委員 溝上憲文、編集:日本人材ニュース編集部)
目次
人事制度や人材育成を見直す企業の狙い
社員の自律的なキャリア形成を推進する企業において、人材育成方針の明確化や教育体系のみならず、人事制度全般を見直す企業が出てきている。
大手小売業の人事担当者は「自律の第一歩は社員自身のキャリア構築の自律にある。1つはキャリアパスの複線化。当社の社内異動はこれまではほぼ100%会社都合での異動だったが、50%を手挙げ式の公募制にすることを目標にしている。
そのために社内にどんな職種があるかを可視化しようとジョブディスクリプションを準備し、部門を紹介することから始めた。
以前は入社すると店舗の店長になるのが夢だった。しかし店長以外にも商品開発やマーケティングも含めて約140の職種がある。必ずしも店長だけがキャリアパスのゴールではないことを示し、いろんな職種にチャレンジしてほしいと思っている」と語る。
同社では自分がやりたいことを見つけるための仕組みとして「社内インターン制」や「社内副業」を設けている。社内インターン制は、数週間から数カ月の期間、インターンとして働き、社内副業は週に数日働く制度だ。「基本的に会社が社員を縛り付ける時代は終わったと考えている。本人の成長にとって何が一番大切かを考えてあげることが、リテンションよりも大事であり、それが会社の魅力となり、入社動機にもつながる」(人事担当者)
・新入社員の学び合い活動で自律的なキャリア形成を促進【旭化成】
・副業制度で多様な経験を積んだ人材が組織を強化【三井化学】
人材育成体系の見直しに着手する企業も多い。労務行政研究所の「人材育成・教育研修に関するアンケート調査」(2024年5~6月)によると、2020年以降に人材育成体系を見直した企業は51.2%と過半数を超えている。「検討中」の企業も31.9%もある。
「階層別教育のみを行っていたが、従業員の自律的なキャリア形成を促すための選択型教育へ見直した」(建設)、「ジョブ型人事制度導入に伴い、階層別研修から自立した人材育成のための選択型研修・選抜型研修を中心とした育成体系へ見直した」(化学)、「自律型人材育成のため、eラーニング等学びの場の提供を開始」(製造)といった人事担当者のコメントが見られる。
●人材育成業務の課題
手挙げ式の選択型研修で社員のキャリア自律を支援
前出の小売業の企業も研修体系を大きく見直しており、人事担当者は「社員の自律を支援するために、公募主体の研修体系に大きく変革した。学校教育の穴を埋めるために哲学をはじめとするリベラルアーツ教育にも力点を置いている。哲学をはじめ、エネルギー問題からリーダーシップ論などさまざまな講座を用意し、社員は手挙げ式で参加する」と説明する。
早くから手挙げ式の研修を実施しているのがソフトバンクグループだ。自律的なキャリア形成の観点から同社の企業内大学のソフトバンクユニバーシティ(SBU)をはじめ、すべてにおいて手挙げ式主体で実施している。SBUの中で必須の研修は新入社員研修と3年目のフォローアップ研修、新任課長研修の3つのみ。それ以外の75コースの研修はすべて手挙げ式であり、1年に受講できる回数制限を設けているが、基本的には先着順だ。
従来の職能資格制度からジョブ型人事制度を導入した事務機器メーカーも自律型人材の支援を目的とした研修を行っている。同社の人事担当者はその狙いについてこう語る。
「今までは会社に言われた仕事をやり、言われるままに異動すれば安定した処遇が得られた。ジョブ型に変わると、もちろん社命での異動はあるが、基本的に自分がやりたいポジションの要件を満たすために自ら学習し、異動を目指すことになる。
そのためにラーニングマネジメントシステム(LMS)と呼ぶ学習管理システムを導入した。タレントマネジメントシステムと連動し、本人の強みや弱み、資格などのキャリアを棚卸しし、ポータルサイトに入れる仕組みだ。
上位の仕事にキャリアアップしたい、あるいは別の仕事に挑戦したいと思えば、その仕事のジョブディスクリプションを見ることができ、不足しているスキルなど、どんな学習をすればよいかを自分で学習プランを組み立てることになる」
・“よりジョブ型的”制度の導入でキャリア自律や若手抜擢を促進【大日本印刷】
・ジョブ型導入の狙いと現実 取組企業の人事の悩み
事業成長をけん引する高度専門人材の養成に注力
大手エンジニアリング会社は新人に対し、OJTとOFF-JTを駆使しながら将来の事業成長をけん引する人材の高度化に注力している。入社後6年間を育成期間と位置づけ、原則2部署を3年ずつ経験し、専門領域に特化したエンジニアを養成する。育成状況については各部門の育成責任者が面談などを通じて把握するとともに、自らのキャリアを中長期的な視点から考えさせて、自律的に投資するよう促している。
また、技術系・管理系を問わず、キャリアデベロップメントプラン(CDP)の策定を義務づけている。自分の仕事の現状と目指す姿を言語化し、そのギャップを埋めるために必要な専門スキルや経験・マインドなどを明文化することで自律的なキャリア形成につなげている。
ソフトバンクグループは、社業に不可欠なデジタル分野の高度専門人材を確保する目的で2021年度からAI研修に注力している。ネットワークやプログラミングなどAIに関する研修はエンジニア向けに実施していたが、新たに「AIキャンパス」という名称でAIリテラシーを身につける内製化したAI基礎eラーニングを全社員向けに提供している。
第2ステップとしてAIの知識をインプットするだけではなく、実際にAIを企画し、自分の業務で活用してもらうハンズオンの研修を100人単位で半年かけて実施した。これもエンジニアに限らずビジネス系の社員を中心に手挙げ式で募集している。
DXの目的に合わせて人材要件や育成目標を設定
多くの企業が重要な経営課題としているDXを推進する人材の確保では、各社のDXの目的によって必要とする人材の能力・資質や知識などの要件や育成目標は異なる。社内に候補が不足していれば外部から獲得する必要もある。
・DXとジョブ型人事が人材要件を変える
・【DX人材の中途採用】事業とITの両面でリーダーシップロールを担った経験者は引く手あまた
●DXを推進する人材の獲得・確保の方法
●DXを推進する人材の育成予算の増減
パーソルプロセス&テクノロジーの「DX・デジタル人材育成トレンド調査2022」によると、DX人材の育成を行っている企業の課題として「取り組んでいるがDXにつながらない」が28.2%と最も多かった。次いで「推進できる人がいない」(27.4%)、「ニーズに合った育成サービスがない」(25.3%)だった(複数回答)。
単なるDXのリテラシー教育を行うだけでは目的とする成果を得られない可能性もある。DXによって達成すべき目標の明確化や、司令塔となるDX担当部署の設置による人材育成の仕組みを工夫することが求められている。
日本ガイシはグループ全体の「デジタルビジョン」を2022年4月に公表。2030年を目標に「データとデジタル技術の活用が当たり前の企業に変革」を掲げ、そのロードマップとして2023年までをステージ1とし、「アナログデータのデジタル化」、2025年には「業務のデジタル化」を達成。それに向けた戦略としてDX人材(データ活用人材)を2030年までに1000人という育成目標を掲げている。1000人は国内社員の2割にあたる。
すでに2021年4月に立ち上げた「DX推進統括部」がDX人材の育成を担当。DX人材を①DXエキスパート(DX推進統括部に所属している人)、②DXリーダー(DXを推進するリーダー的存在)、③DXサポーター(部門・現場と一緒にデータ分析を通じて個別の技術課題を解決する人材)、④DXビギナー(業務の中でデータ分析手法を適用できる人材)―の4つの階層に区分し、育成を実施している。
● 日本ガイシの教育コンテンツ
1年間の集中的な教育でDXリーダーを育成
DXリーダーは30~40代の係長・主任レベルを対象とし、デジタル技術を学びながら、モノづくりの現場の課題解決を行う目的として、1年間の「社内留学制度」(NGKデータサイエンスアカデミーの受講)で学ぶ。所属事業部からDX推進統括部に「異動」し、DXについて幅広く学習し、1年後に元の事業部に戻る仕組みだ。NGKデータサイエンスアカデミーは座学と実践(所属部門の課題解決)で構成され、座学で身につけたデジタル技術やデータ活用技術を使い、DX推進統括部のサポートを受けて解決策を探る。入学時と半年後、1年後の3回、所属事業部門への報告会を実施する。
DXサポーターはデジタル知識を身につけ、事業部門でDXリーダーを支援する役割を担う。外部講師によるオンライン講座を受講し、社内標準ツールを使ったデータ利活用や、モノづくりに関わる知識を習得する。年1回の10日間の集合研修も実施している。
DXビギナーは、「データ分析とは何か」「データをどう扱うのか」といったDXリテラシーを身につけることを目的にデータ利活用の考え方や手順、実践方法をオンライン講座で学ぶ。そのほかに半日研修を1年間に3回実施している。こうしたDX人材の育成以外に全社員を対象に、「IT基礎教育」や「データ活用実践教育」などのeラーニング講座の受講を推奨している。
同社のDX推進のカギを握るのが異動による1年間のDXリーダーの育成だ。同社には現部署と他部署に異動するローテーション制度があるが、その中に「社内留学制度」が組み込まれており、毎年10人超がこの制度によって異動し、2030年には計110人のDXリーダーの誕生を予定している。
高度専門人材の養成は日本企業の成長にとって不可欠な仕組みだ。同時に自発的なキャリア形成を促すための支援も今後一層求められてくるだろう。
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