〜堺の商人、呂宋助左衛門とは〜【堺・泉州エリア】

目次

  1. 呂栄助左衛門とは?
  2. 助左衛門の痕跡
  3. おわりに
〜堺の商人、呂宋助左衛門とは〜【堺・泉州エリア】

皆さんこんにちは。
社会人ライターのみーなです。

皆さんは学生時代、何の授業が好きでしたか?

私は先生の豆知識が聴ける日本史が好きでした。
教科書に名前も載っていない人々にまつわるエピソードには、歴史の裏側を覗くようなワクワク感がありますよね。

実は、大阪堺は、戦国時代を生きた逞しい商人の出身地なんです。
その名前は、「呂栄助左衛門(ルソンすけざえもん)」
聞いたことある方もいらっしゃるかも?

堺の歴史に隠れた名商人を、ここでは紹介します。

呂栄助左衛門とは?

本名は納屋助左衛門(なやすけざえもん)。

永禄8年(1565年)、堺の納屋衆という商人の家に産まれました。 今で言う、貿易商兼賃貸住宅の大家さんの家の子、ですね。

この時代、堺は外国との貿易の中心的存在。
助左衛門もルソン島(現在のフィリピン)まで海を渡り、貿易商を営みました。

そして、ルソン島から仕入れた壺を献上したのは、あの天下人「豊臣秀吉」。
これをきっかけに秀吉から気に入られ、助左衛門は贅沢な生活を送るようになります。

ですが、あまりにも派手に暮らしすぎてしまった助左衛門。
秀吉の家臣、石田三成があることないことを告げ口し、怒った秀吉に財産を没収されそうになります。

助左衛門は自分の財産を堺の大安寺に寄進し、ルソン島へ雲隠れしました。
その後はカンボジアへ渡り、日本からやってくる貿易商の対応を一手に任されていたとか。

助左衛門の痕跡

亡くなった場所や時期が不明であることや、秀吉に壺を献上するお膳立てをしてくれた千利休と出会う時期が合わないことから、本当は実在しない人物なのでは?という疑問もあるようです。

しかし!助左衛門が財産を寄付した大安寺には、彼が邸宅を売ったことが記録されている史料が残されているそうです。

おわりに

現在、堺港には海を見据える助左衛門の像が立っています。

彼から見た堺の町や、世界へ続く海はどんな景色だったんでしょうか。

堺港へ行ったら、ぜひ彼と一緒に海を眺めてみてください。

ご愛読いただきありがとうございました。

参照: https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/054.html https://www.sakai-tcb.or.jp/about-sakai/history/