最近“リスキリング”という言葉をよく聞くようになった。カタカナで見ると一見何のことかわかりにくいが「Re-Skilling」で、今後社会で求められる仕事に役に立つような知識や技術を習得することを目的として学ぶ、キャリア志向の学習を意味する言葉である。

振り返ると、1980年代くらいまでは高品質・高性能のハードウエアを生み出す”モノ作り日本”は絶好調だった。しかし、その後、ディジタル、パソコン、インターネット、の時代となり、モノやシステムの様々な“機能”や“仕組み”はソフトウエアが実現し、ハードウエアはそのイネーブラーである、という産業構造となってきた。すなわち、日本が得意のモノ作りの中でもソフトウエアの比重が高まり、“ソフトウエア人材不足”が声高に叫ばれるようになった。大学でもIT、情報処理系の学科が増えるとともに、企業もソフトウエア教育に力を入れた。その後、WEBサイトが様々なサービスの基盤となるにつれ、サーバー技術者、フロントエンドエンジニアの需要も急速に高まった。最近では、サイバーセキュリティの脅威が増加するに伴ってセキュリティ人材不足も深刻な問題となってきている。

このように、技術の進歩・社会の変化とともに、人々に求められるスキルや知識は常に変化する。米国のように人材の流動性が高い社会では、労働者も自ら需要のあるスキルを身に着けてより良い条件の仕事に就こうとするため、リスキリングは社会の機能として組み込まれているとも言えるだろう。一方で、“会社に就職(就社)”して会社から与えられた仕事をこなしながら昇進をめざすことが一般的な日本では、より良い処遇を求めて自ら新たなスキルを身につけて新しい仕事に挑戦する人はまだまだ少数派であると言える。その意味でも”リスキリング”という言葉自体あまり日本ではポピュラーではなかった。

しかし、コロナ禍のおかげで人々の働き方も変わってきた。リモートワークが普及し、沖縄で生活しながら東京の会社のソフトウエア開発に従事することも可能になった。リモートで行えるプログラミングのような能力があれば、自分のライフスタイルに合わせた働き方が可能になる。また、DXの進展とともに製造や配送などの仕事の中でも単純な作業はロボットに置き換えられることが増えてきた。一方で、そのロボットを使いこなすための新たな業務も生まれている。企業も労働者もリスキリングを意識せざるを得ない環境となってきていると言えるだろう。

「質」で敵を凌駕することを目指すIDFの先端技術開発

前置きが長くなったが、今回はリスキリングプログラムを提供するWawiwaという企業を紹介する。創業者のEran Lesser 氏はIDF(イスラエル国防軍)で、マムラムという訓練部門の司令官だった。イスラエルは、周辺の敵対する国々と比較して国土面積も小さく人口も少ないため、安全保障のための武力の「量」では圧倒的に不利になる。従って、建国以来、常に「質」で敵を凌駕することを目指して先端技術開発に取り組んできた。先端技術開発に従事する少数精鋭の技術エリートを育成する「タルピオット」プログラムについては、以前ISRAERUでも紹介した。

しかし、一部のエリートだけではなく、技術バックグラウンドのない人を含む大勢の兵士たちも、現場の各種オペレーションのためにコンピュータを利用し、ソフトウエアスキルを持つことが必要であり、タルピオットプログラムが始まるより前の1951年に技術トレーニングを担当するマムラムユニットが設立されている。兵役に従事する若者の一部は、訓練が本格的に始まるまえに、マムラムでの技術トレーニングを一定期間受講する。長年その任を担当し、数千人の兵士を育成したEran Lesser氏は、その方法論やノウハウを生かして民間で需要の高い技術再教育を提供するWaiwaを創業したのである。IDFでつちかわれた方法論やノウハウとは一体どんなものだろうか?

日本で教育というと、わかりやすいテキストなどの教材コンテンツの工夫やPCで独学できるような仕組みを想像されるかもしれないが、IDFのノウハウはそこではない。Eran氏への取材やいくつかの資料を調べた限り、そのノウハウとは、徹底した個人の適性、能力や学習習熟度の把握、にあるようだ。

サイコメトリクステストに基づいて適性を把握するIDFのノウハウ

18歳で兵役に就く際、イスラエルの若者はIDFの試験を受ける。その中でも特徴的なのが、サイコメトリクス(Psychometrics、計量心理学)テストと呼ばれるもので、専門的な訓練を受けた試験官が面接を通して個々人の適性を的確に把握する。イスラエルの人口は930万人程度であり、18歳人口がさほど多いわけでもないため、限られた人材を有効活用しなければならないという考え方が基本にある。

例えば、身体能力に劣る候補者を体力が求められる部隊に配属しても、本人も部隊も決して幸せではない。仮にその候補者に語学の素養があるとすれば、諜報活動の部隊に配属したほうがお互いにメリットが大きいだろう。このような観点から、IDFは個人の適性や資質を把握することに大変力を注ぐ。サイコメトリクステストという名前の通り、心理学の要素が含まれるテストのようであり、また、専門知識を得た試験官には、前年、前々年に兵役についた1、2年年長の女性兵士が多いとも聞いた。同世代の方が的確に候補者の適性を把握する、ということかもしれないが、この評価が大変有効に機能しているらしい。

IDF(イスラエル国防軍)の兵士
(画像=IDF(イスラエル国防軍)の兵士)

少し話がずれるが、イスラエルでも職を得るときには応募者は履歴書を企業に提出するが、そこには兵役でどの部隊に従軍したか、という情報を必ず記載する。企業側は学歴よりは、この情報を重視するらしい。すなわち、配属された部隊がどこか、どんな業務についたか、という情報を見れば、その人の適性や能力がほぼわかるからである。IDFによるサイコメトリクステストの有効性を示すエピソードではないだろうか。

Wawiwaのいう、IDFの方法論やノウハウ、もそこにある。いくらIT大国イスラエルとは言え、誰もがプログラミングへの適性があるわけではない。従って、候補者がどんなスキルの教育に向いているのかという適性・資質を個々に分析し、その結果をもとに個別に目標を設定し、カリキュラムを組む。そして、その人に合った教材も用意して、指導者との意識合わせをしたうえで、トレーニングを実行する。

ジョブスキル分析>トレーニング目標の設定>カリキュラムデザイン>トレーニング資料の開発>指導スタッフミーティング>実行と評価

このサイクルこそがIDFでつちかわれた方法論であり、彼らはJET(Job-Effective Training) Design® Methodologyと称している。6ヶ月で一つのカリキュラムを習得できるような考え方で設計されている。そして、この方法論の裏には学習者個々人の適性・資質を正しく評価するIDFのノウハウがあるのだ。また、各自の習熟度合いも適宜評価した上で、トレーニングへ反映させるというフィードバックプロセスも重視している。

出典:https://wawiwa-tech.com/

日本の教育では、ビデオを用いたわかりやすい教材、とか、パソコンやタブレットを使った授業、等が話題にはなるが、そのような教材を使うとしても、クラスの生徒全員が同じカリキュラムで同時に学び、同じテストで評価される。そこには個々人の適性・資質に合わせるという視点がない。IDFで開発された方法論とは、個々人の適性や資質を把握した上で、各自に合ったカリキュラムを用意する、そして習熟度も個別に評価した上で、次のカリキュラムに反映させるのである。つまり、教材やツールにばかり注目するのが日本だとすれば、イスラエルでは”学習をする人”に注目する、と言えるだろう。個々人を評価し、テーラーメードのカリキュラムを用意するのは大変手間がかかるが、教育というのは手間のかかるものだという認識が基盤になっているのではないだろうか。日本の教育が参考にすべき点である。

Waiwaでは、現在次のような人材を養成するプログラムが用意されている。

  • フルスタック開発者 (Full-Stack Developer)
  • フロントエンド開発者 (Frontend Developer)
  • サイバーセキュリティアナリスト (Cybersecurity Analyst)
  • データサイエンティスト (Data Scientist)
  • データアナリスト (Data Analyst)
  • プロダクトマネージャ (Product Manager)
  • QAスペシャリスト (QA Specialist)
  • ディジタルマーケティングスペシャリスト (Digital Marketing Specialist)
  • ユーザエクスペリエンスデザイナー (User Experience Designer)
  • DevOpsスペシャリスト (DevOps Specialist)
  • これ以外にも、顧客・社会の要請に応じて追加のプログラムも開発するようだ。日本でもパートナー企業ができたようなので、近い将来Wawiwaのプログラムが日本語で受講できるようになるだろう。各プログラムの内容だけではなく、学習者一人ひとりの適性や資質を評価する仕組みがどのようにローカライズされるのか、大変興味深い。

なお、Wawiwaという企業名も大変ユニークで、何かヘブライ語の意味があるのかどうかEran氏に尋ねたところ、意味のある言葉ではなく、楽しそうな発音から決めた、ということであった。これもイスラエルらしいエピソードだ。

日本でも、社会の変化を先取りして自らの能力を磨き、より条件の良い仕事に挑戦することが当たり前になれば、日本の産業/経済ももっと元気になれるのではないだろうか。Wawiwaのリスキリングプログラムの普及が期待される。