以前ギラッド・コーエン駐日イスラエル大使に取材をさせていただいた折、大使は“イスラエルにはクルマを作る力はないが、クルマの頭脳を作ることはできる”という趣旨のお話をされた。自国に自動車産業はなくても、コンピュータサイエンス技術が核となるこれからのスマートモビリティの世界では、イスラエルがその鍵をにぎっていく、という力強い言葉だった。実際、衝突事故防止システムとしてはイスラエルのMobileEyeが、画像処理技術を駆使したソリューションを世界に提供しており、クルマの「目」となるセンサー、LiDARの分野では、イスラエルのInnoviz Technologiesがその性能・機能・価格の優位性で世界の注目を集めている。2022年Q1時点で、イスラエルにはスマートモビリティ分野のスタートアップが447社あるが、AI技術を活用して安全運転をサポートするだけではなく、損害保険や不動産分野からもその技術が注目されている企業、Nexarを紹介したい。お話を伺ったのは、4月末の取材時点でNexarのカントリーマネージャーであり、まもなく設立する日本支社の支店長となる予定の、山本幸裕氏である。
Nexarは2015年に創業したスタートアップで、現在はアメリカ中心にドライブレコーダを提供している。Nexarのドラレコはアメリカ市場でシェア15%で、毎月9千万マイル(5千6百万キロ)のビデオを撮影しているそうだ。Nexarにはスマホアプリがあり、ドラレコのSDカードに記録されたビデオデータは、BluetoothやWiFi経由でマホに転送される仕組みとなっている。ここまでは、他社のドラレコでもある機能だが、Nexarは、スマホが自宅やカフェのWiFi領域に入ったときに、自動でそのデータがNexarのクラウドにアップロードされる仕組みを構築した。こうして収集される膨大な映像をAIで解析することで、ドラレコユーザーや他の企業にもメリットのある独自のサービスを開発した。その概要を紹介する。
ナビゲーション機能とその高度化
日本と違ってアメリカでは専用カーナビの普及率はあまり高くなく、多くのドライバーはスマホのカーナビアプリを利用している。イスラエル発でグーグルに買収されたアプリ、Wazeなどは、その代表格だろう。Nexarのスマホアプリにもカーナビ機能があるが、ドラレコ映像の解析と組み合わせることで、一般のナビよりも高度な機能を提供している。例えば、大都市の主要道路で渋滞が発生しているとする。もし、渋滞の先頭近辺の車両がNexarのドラレコを搭載していて、その動画がほぼリアルタイムでクラウドにアップロードされていれば、Nexarはその画像を自動的に解析することにより、渋滞の原因となる場所がどのあたりにあり、その原因が交通事故なのか、道路工事なのか、自然渋滞なのかなどをAIが判断して、後続車両のNexarドラレコユーザーにスナップショット画像を通知することができるのである。この先で何が起こって渋滞になっているのか普通はわからない後続車両のドライバーは、渋滞の原因、渋滞先頭近辺の状況を知ることができ、このまま渋滞の中で待っていても良いのか、別ルートに回避すべきか、等の判断が早めにできることになる。これはドライバーにとっては大変大きなアドバンテージだろう。
このナビ機能は2020年までは月額$10で提供されていたが、後に説明するB2Bのビジネスが成長した結果、現在は無料となっているとのことだ。
車両見守り機能
Nexarのドラレコは車両の見守りにも使える。誰かが駐車中のクルマのドアを無理に開けようとする、などの力がクルマに働くと、Gセンサーによりドラレコが自動的に起動して録画を開始し、アプリを通してユーザにインシデント発生を通知する。現在でも車のイモビライザーや振動センサーにより防犯アラームが鳴動する機能は一般的だが、警報音はその場周辺にいる人にしか聞こえない。Nexarの場合はドライバーが離れた場所にいても通知が届き、自動的に録画も始まって犯人の映像が残る可能性もあるため、車両の防犯・見守り機能として更に有効だろう。
このようにドラレコユーザー向けのメリットもある一方で、彼らは本機能を利用した新たなB2Bビジネスも開拓した。大変着眼点が素晴らしく、その概要を紹介する。
自治体ビジネス
実は地方自治体や高速道路会社が既にNexarの顧客となっている。
アメリカではコロナの影響を受けた飲食店が、売上拡大のために路上に不正に飲食スペースを作って道路を専有しているような問題も起きているそうだ。また、道路の車線を示すペイントも交通量の多い道路では消失することは不可避である。これらの道路不正利用や不具合を人力で見つけるのは、管理する自治体にとっては大きな負担である。Nexarはクラウドに集めた映像をAIが解析して、このような不正利用や不具合を自動で検知することができる。実際、ニューメキシコやカリフォルニアの交通局は既にNexarの顧客だそうだ。
日本ではあまり道路不正利用のようなケースはないが、道路の亀裂、陥没、交通障害となる落下物などを発見するために、現在は自治体の職員が巡回している。日本でも同じような仕組みができれば、インフラである道路の維持管理に大きく貢献できるはずである。日本市場後発で今からドラレコシェアを取るのは難しいだろう、という声も聞こえるが、実はドラレコ自体を販売する必要はない。Nexarの核となる技術は“AIによる映像の解析”であるため、他社のドラレコ映像でも構わないのである。現在、ドラレコを備えたトラックを運用している流通・宅配事業者などと提携することにより、彼らの映像利用が可能にならないか検討を進めているそうだ。そうすれば、日本でもアメリカ同様に、自治体や高速道路会社とのビジネスが可能となる。今回紹介は省略するが、不動産分野も彼らの映像データに注目しているようだ。
自動車保険への応用:事故動画解析、事故シーンの再構築
もう一つ特筆すべきなのは保険分野への応用、いわゆるInsurTech(Insurance:保険とTechnology:テクノロジーから成る造語)である。日本では三井住友海上と組んで、ドライブレコーダー保険向けの動画解析を行っており、Nexarが提供しているのは、衝突の検知と事故状況の再現だ。
通常の衝突検知はドラレコのGセンサーを利用している。一定のしきい値以上のGを検出したら、保険会社に自動的に連絡がいく仕組みだ。しかし、衝撃が発生するのは衝突事故だけではなく、道路の段差に乗り上げたり、陥没した箇所を通過したりした場合でも、大きなGを検知するため、事故以外の要因で保険会社へ通知がいくケースがかなりあるという。三井住友海上とNexarの場合は、Gセンサーだけではなく、映像やGPS情報を組み合わせでデータを解析するので、本当の事故だけを検出することができ、保険会社の業務プロセスの効率化が可能になる。
また、衝突事故の事後分析も行う。現状のドライブレコーダー保険は、損害保険会社の複数人がドラレコ映像を見て、事故状況の確認、分析をするそうだ。Nexarの場合はクラウドに集められた映像情報から、自車と相手の車の動きや信号の動作などを地図上にプロットしたアニメーションとして事故シーンをAIが再構築できる。AIは数分でこのアニメを作成するため、三井住友海上の業務効率は大幅に改善されたのである。日本の保険会社とイスラエルのハイテク企業が協業して、新しい市場を開拓したと言えるだろう。
日本企業の場合は、例えばドライブレコーダーという商品でビジネスをする場合、より高性能・高機能で低価格な機器を開発製造する方向に進むのが一般的だろう。しかし、イスラエル企業の場合は、今ある機器、そこから得られるデータを利用して、異分野である自治体や保険のビジネスを開発する。現実的に役に立つ新しいニーズ・市場を発掘する発想力に長けている、と言えるのではないだろうか。日本のように国内市場の規模がある程度大きいと、スタートアップだけではなく既存の企業もまず国内市場向けのビジネスに目を向ける。つまり、既に存在する国内の顧客ニーズ、事業環境、制度が、自ずとそのビジネスの前提となってしまう。しかし、イスラエルのように国内市場規模も小さい国では、そのような前提条件なしに、初めから世界市場を見て可能性のあるビジネス領域を探し、狙うことになる。だからこそ、新たな市場を発掘できるのである。自動車産業のない国でも自動車の頭脳となる技術を開発できるのは、彼らが置かれているそういう環境からくるのではないだろうか。日本企業が参考にすべき点だろう。