「目標・営業所長」の中途入社組が社長への階段を上りつめるまでー大和ハウス工業 芳井敬一
芳井敬一 大和ハウス工業 (画像=経済界)

芳井敬一 大和ハウス工業
よしい・けいいち 1958年大阪府生まれ。中央大学文学部を卒業し81年神戸製鋼所グループの神鋼海運入社。90年大和ハウス工業に転じ、姫路支店長、金沢支店長などを歴任。取締役海外事業部長、同常務執行役員東京本店長、同専務執行役員営業本部長を経て、2017年11月、社長に就任した。
大和ハウス工業の芳井敬一社長は、ラグビー選手として挫折を味わい、中途入社で大和ハウス入りをした。そんな経歴だけに、当初は出世など望みもしなかった。この低い目標設定が最大の失敗だったと芳井氏は振り返る。そこからどうやって方針を転換し出世の階段を上りつめていったのか。芳井氏に聞いた。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(経済界電子版より転載

低い目標設定では自分を成長させられない

―― 芳井さんは神戸製鋼ラグビー部の選手でしたが、3年ほどで選手生活を引退します。その後も大きな交通事故に遭うなどして挫折を重ねていますが、大和ハウスに入って以降の足跡を見ると、順調に出世を重ねています。失敗とは無縁の会社員人生のように思います。

芳井 いやいや、仕事上の失敗は山ほどあります。というより、失敗したことのない人などいないでしょう。プライベートでも、いろんな場面で失敗しています。失敗することはむしろ当たり前です。

―― では、過去の最大の失敗はなんですか。

芳井 失敗というか、ずっと反省していることがあります。それは目標が低すぎたということです。低すぎる目標は自分を成長をさせない。それに気づくのに時間がかかってしまった。高校、大学とラグビーに打ち込んできましたが、それにしても日本一になりたいというのではなく、リーグ戦で3位までに入ればいい、あるいは同じポジションのライバルに勝てばいい、という身近なところに目標を設定していました。目標が高ければ、人はそれに向かって努力する。ところが目標が低かったため、それなりの努力しかしていません。

 社会人になってからもそうです。私がいたころの神鋼はまだ平尾(誠二)選手たちが入る前で、それほど強くはなかった。日本一など夢だと思っていました。ところが私と寮で同室だった選手は、ずっと日本一になると言い続けていました。もともと私などよりはるかにうまかったのに、練習も私以上にこなす。練習が終わってからも、足腰を鍛えるといって六甲山の中腹にある寮まで走って帰る。どうかしていると思っていました。でも、彼はその後、日本一の夢を叶えます。目標を高く設定して、それに向けて努力した人間だけが栄光をつかむことができるのです。

―― 仕事でも同じですか。

芳井 私は32歳の時に大和ハウスに転職しました。その時は営業所長にはなりたいと思い、妻にも約束していましたが、そこから先のことなど考えてもいませんでした。幸い、入社15年後に神戸支店営業所長になることができたのですが、その年に支店長公募試験が行われました。私は受ける気はなかったのですが、当時の神戸支店長がとにかく受けろと。それで受けたら合格し、1年後には姫路支店長です。あの支店長の言葉がなかったら、その後の人生は全く違うものになっていたと思います。

―― 芳井さんにとって営業所長が目標だったように、普通の人間は目標を手の届く範囲に設定します。そのほうが目標が達成できないという失敗のリスクを抑えられるからです。芳井 例えば営業所なら営業所、支店なら支店の組織を変えたいと思ったら、自分はこれを実行するんだという目標を立てます。もちろん目標を立てただけではダメで、その場所で最大限の努力をする。部下もいますから、成果を上げてもらうために、どう指導するか、仕事のやり方も含めて言葉で分かりやすく説明し、役割意識を植え付けていかなければなりません。そのためにも目標は高く設定して懸命に努力する。そうすると組織は少しずつ変わっていきます。

自分より上の仕事を見て次の仕事の準備を行う

「目標・営業所長」の中途入社組が社長への階段を上りつめるまでー大和ハウス工業 芳井敬一
芳井敬一 大和ハウス工業 (画像=経済界)

―― どうしてそう変わっていったんですか。

芳井 仕事を通じてそうなっていったこともありますが、それ以上に大きかったのは娘たちの存在です。私には3人の娘がいますが、みな剣道をやっていました。高校はそれぞれ別ですが、上の2人はそれぞれ市の大会で2位になったり団体で近畿大会に出場したこともありました。全国大会には進めませんでしたが、親にしてみれば十分満足な成績です。

 ところが新設校に入った下の子は、1年の時から全国大会を目指すという目標を掲げていました。それだけに、上の2人に比べても練習量も遠征の数も相当に多い。そして実際に3年生の時に全国大会に進出しました。やはり高い目標を掲げそれに向かって努力したからこそ、なしえたことです。

 会社もそれと同じです。その組織で成果を出したければ、目標を高く掲げ全員で努力する。それをするのが組織の長の役割です。

―― 芳井さん個人としては、どのように目標を掲げているのですか。

芳井 以前からやっているのは、自分がさらに上に行った時に、どうするかを想定することです。これは当時会長だった樋口武男最高顧問から、「上の仕事を見て準備をしておけ」と言われたことを意識したものです。私は姫路支店長のあと金沢支店長となり、海外勤務を経て東京本店長に就任します。でもそれ以前から、東京本店長になったらどうするか、考え続けていました。

 東京本店は他の支店とは規模がまるで違う大店です。でも本店長の後任の人に「芳井さんは本店でも支店長をやろうとしていたのですね」と言われました。まさにその通りで、金沢支店などでやっていたことを本店でも実践していました。

 赴任前から気になっていたのが、本店の人たちはあいさつをしないということでした。これは無理もありません。東京本店には2千人からの社員がいる。顔を知らない人もたくさんいるわけです。でもこれでは一体感が出ない。そこであいさつを励行するわけですが、言っただけでは仕方がない。それよりも、本店の社員同士がどうすれば交流できるかが重要です。

 営業所長になった時から、私は社員との対話を重視していました。勉強会を開き、自分の役割を考えてもらう。それが分かれば自分が何をすべきか、自ずから結論が出ます。

―― 芳井社長といえば、社員との座談会が有名です。どういった内容ですか。

芳井 営業所長になった時から続けています。例えば当時の金沢支店は社員同士の交流もなく風通しも悪かった。そこで週に1度勉強会を開くことにして、2チームをつくり中堅女性社員2人にそれぞれのリーダーになってもらいました。チームごとにテーマ設定を行い、半年ごとに結論を出してもらいましたが、この勉強会の目的は問題解決ではなく、社員同士の交流にありました。

 最初はリーダーも何をしていいか分からなかった。毎回、議事録を提出してもらいましたが、それほど熱が入っていなかった。ところがそのうちに、「知らない人とようやく打ち解けてきました」「住宅部門の人と真剣に話したのは初めて」という言葉が入ってきた。これを見て私はリーダー2人に、「テーマなんかただの道具。こういう言葉を待っていた」と言ったのです。これで2人も、勉強会の本当の意味を知り、それから一生懸命取り組むようになっていきました。こうなればしめたものです。実際、金沢支店の営業成績は大きく伸びました。

 東京本店に来た時も、早朝に幹部と面談し、その一方で若手社員と座談会を開きました。こういうことを重ねることで、会社の雰囲気も変わっていく。あいさつする社員も各段に増えた。とはいえ、いくら努力をしたところで、組織が一気に変わるわけではないし、部下の信頼をすぐに得られるわけではない。それでも、やり続ければ少しずつ変わっていく。もしかしたら成果がでるのは自分が異動になった後かもしれませんが、それでいいんです。その気持ちで取り組んできました。

とことん考え抜いたら後はリセット

―― その後、東京本店長と営業本部長兼務となりますが、この時は自分が社長だったらと考えていたのですか。

芳井 当時の大野直竹社長のあいさつなどを聞きながら、自分だったらこういう話し方をするだろうなとか、自分ならこんな判断をしたんではないだろうか、ということは考えていました。それと地方の支店長から東京に出てきて思ったのは、出会う人がそれまでとまるで違うということです。当時の樋口会長からは、人とできるだけ会うようにしろと言われていましたので、できるだけ多くの人との面談を重ねてきました。それも可能なかぎり1対1で会う。そのほうがより密な関係を築くことができる。そして今はその人たちとのつながりがとても役に立っています。

―― 自分の目標を高く設定するだけでなく、部下の目標も高くするよう指示するのですか。

芳井 けっこう厳しく求めています。 その代わりきちんとフォローする。やり方は相手によってさまざまですが、先ほどの金沢支店の女性リーダーのように、その目標の本当の意味が何か理解してもらい、自分の役割をきちんと認識してもらう。それがきちんと伝われば、社員のモチベーションは間違いなく上がりますし、さらに次の目標に向かって進んでいくことができるようになります。

―― 物事がうまくいかなかった時、どうやって立て直しますか。

芳井 まずは2日間、とにかく考え抜いて自分を徹底的に追い込みます。そしてとことん考えたら、それでリセットです。

 ラグビーをやめる時もそうでした。2日間、考えて結論を出した。高校時代の監督にだけは伝えなければいけないと思い電話したところ、「今までよく頑張ってくれた」とねぎらいの言葉を頂きました。この時はほっとしましたね。

 昔頂いたマルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』の中に「運命は最初に処方されている。すべては織り込み済みなのだ」という言葉があります。だったらくよくよしても仕方がない。とことん考えたらリラックスして好きな音楽でも聴くというのが、私の立ち直り法です。