コロナ禍でも営業を続けた「ダンダダン」トップの餃子愛と信念
(画像=井石裕二・NATTY SWANKY社長/経済界)

新型コロナ禍にあっても開店し続けるなど、飲食業界で存在感を増している「肉汁餃子のダンダダン」。開業以来、右肩上がりで成長を続けてきた秘訣を探った。(取材・文=吉田浩)(経済界電子版より転載

井石裕二・NATTY SWANKY社長プロフィール

(いせき・ゆうじ)1974年生まれ、東京都出身。95年株式会社クレメントに入社しIT関連業務に従事した後、交流のあった田中竜也氏と共に2001年有限会社ナッティースワンキー(現株式会社NATTY SWANKY)を設立。ダイニングバーなどを経営し、2011年に「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」を開業。餃子をメインメニューとした居酒屋スタイルが受け、全国に店舗を拡大。直営、フランチャイズを含め、21年11月時点で109店舗を運営する。

餃子を前面に押し出した居酒屋「ダンダダン」

 ここ数年、街を歩くと目にすることが増えた「肉汁餃子のダンダダン」。新型コロナ禍で営業自粛する飲食店が増える中、常に開けている店として知名度がさらに高まった。コロナ禍になって初めて利用して以来、リピーターになったという声が筆者の周りからも聞こえてくる。

 業態は居酒屋でサイドメニューも充実しているが、主力商品は店名の通り餃子だ。看板に力強く個性的な筆致で書かれた「元祖肉汁餃子の店」「餃子とビールは文化です。」の文言からも、店側の餃子愛が伝わってくる。2011年1月、東京都調布市に1号店をオープン。その後は首都圏を中心に全国で出店を加速し、21年11月時点で直営店、フランチャイズを含めて109店舗を展開するに至っている。

 餃子をメニューに加える居酒屋は珍しくないが、ここまで「餃子推し」を前面に出すスタイルは以前にはなかった。運営会社である株式会社NATTY SWANKYの井石裕二社長はこう語る。

 「もともと自分が餃子好きというのがあったのですが、近所に美味しいと思える店がなかったんです。『餃子とビールの組み合わせは鉄板』というイメージがあるにもかかわらず、餃子は中華料理屋やラーメン屋のサイドメニューでしかなく、お酒を飲みながらゆっくり食べられる店はありませんでした。それなら自分でそういう店を作ろうと」

 餃子専門店にすることも考えたが、それでは客単価が上がらずビジネス的に厳しい。将来的に多店舗展開を考えていた井石氏は、「餃子をメインメニューとしつつ、他の料理もつまみながらお酒が飲める店」というコンセプトにたどり着いた。

1年かけて理想の餃子を追求

 こうして生まれた「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場(現在は肉汁餃子のダンダダンに改称)」がスタートしたのは、創業から10年後のことだ。共同創業者で現副社長の田中竜也氏と井石氏は、当時田中氏が修行をしていたラーメン屋で店員と客の立場として出会った。井石氏は勤務していたIT関連企業を辞め、2人で会社を設立。田中氏がラーメン屋を、井石氏がダイニングバーなどを手掛ける形で進めてきた。4店舗を運営し、それなりに繁盛していたが限界も感じていたという。

 「創業から10年経って、そのまま続けていても自分たちはやっていけるかもしれませんが社員たちの未来がないと思ったんです。それまではお客様が自分に会いに来るとか、料理人の味が気に入っているから来店するといった感じで属人性が高く、多店舗展開が難しい状況でした。客層も20代~30代で独身の人が大半で非常に限られていたので、老若男女に使ってもらえる店として展開したいと考えました」

 自らの感覚や顧客からのヒヤリングなどの結果、餃子とお酒をしっかり楽しめるスタイルに勝機を見出し、新たな業態として本格的にスタート。オリジナル餃子の開発には約1年を費やした。こだわったのは、奇をてらわず何年たっても飽きられないような味にすることだ。ビールともご飯とも合うという、餃子の王道を踏み外さないよう心掛けた。全国展開するようになった現在も、地域によって味を変えたりはしていない。

 利用客の反応は想像以上で、開店当初から行列ができる店になったという。幸いなことに井石氏の理想を反映した餃子は好評で、大きな手応えを感じていた。だが、すぐに深刻なピンチに直面する。開店から2カ月後の3月11日に発生した東日本大震災である。

店を開け続けることへのこだわり

 震災後に日本全体を覆った自粛ムードと計画停電によって、多くの飲食店が休業。出鼻をくじかれた格好となったダンダダンも、休業するかどうかの判断を迫られた。

 「閉めている間に来ていただいたお客様が、ガッカリして帰っていくのを見るのが本当に嫌だったんです。1人でも多くの人に喜んでほしいと思っているのに、自ら閉店して期待を裏切ることに納得がいきませんでした。それで周囲の店は閉めていても、自分たちは開け続ける決断をしました。計画停電の時はローソクを集めたり、発電機をお客様に譲ってもらったり、停電になる前に炊飯器でご飯が炊きあがるようにしたり、工夫しながら、どうやったら開けられるかを考えました」

 店を開けることで、利用客に感謝された経験も営業を続けるモチベーションにつながったという。

 「震災後2~3週間くらいは営業しづらいムードだったのですが、当時はコンビニもスーパーも品不足になって、1人暮らしの方は食べる場所がなかったりもしました。そんな時だから自分たちが店を開けたことで非常に感謝されたんです」

 コロナ禍でも店を開け続けることにこだわったのは、この時の経験があるからだ。

 「2021年1月の終わりに、大手にも協力金を出すので閉めてほしいと行政から要請されて一度は閉めていました。でも、4月の終わりには酒類提供の禁止も要請されて、そうなると20時までの時短営業では売り上げが立たない。アルバイトの雇用も出来なくなって人数も減っていたので、たとえ通常営業になってもすぐには開店できなくなります。だから、命令が出るまでは開けようと決めました。この時もお客様からは感謝されましたね」

 酒類の提供自粛が要請されていた期間も、数少ない「飲める店」として営業を続けていたのは記憶に新しい。これについて批判的な意見はあるものの、従業員のため、顧客のために考え抜いた末の決断であり、自らの存在意義を懸けた戦いだった。

従業員との価値観の共有を重視

 ダンダダンは開業以来、震災やコロナという突発的なアクシデントを除けば、順調に成長してきたと言える。開業当初は1年に1店舗程度だった新規出店は、年間約20店舗にペースアップ。19年3月には東証マザーズに上場し、パブリックカンパニーへと本格的な脱却を果たした。22年にはホールディングス化も予定している。

 安定的な成長をもたらした要因として挙げられるのは、初期のころから従業員との価値観の共有を徹底してきたことだ。規模の拡大と共に、味やサービスの質、従業員の士気などがばらつくのは、多くの飲食店経営者が直面する課題でもある。井石氏は早い段階から、組織としてのマネージメントを強く意識していたという。

 「数店舗で終わるつもりはなかったので、その点については3店舗目を出したあたりから意識はしていましたね。それまでは自分の言葉で従業員に伝えてきたことを明文化しようと、経営理念や行動指針をまとめた『餃子諭』という一冊の本を作って、会社として大事にしてほしいこと全てをまとめたことが大きかったと思います」

 経営理念として掲げる「街に永く愛される、粋で鯔背な店づくり」の文言には、流行りすたりの激しい飲食業界において、将来に渡って人々に愛される店にしたいという思いが込められている。「流行しそうな新メニューやクーポン割引などに安易に頼るのではなく、自分たちを磨くことで長く愛してくれるファンが付いてくれると考えています」と、井石氏は話す。

 この他、スタッフ全員の行動指針として「向上心」「好奇心」「探究心」「自立心」「忠誠心」の「5つの心」を定め、毎週テーマを決めて運営する、また、接客に関する20大行動を定めて実践する等、経営サイドの思いを常に従業員に伝える努力を惜しまない。

 22年以降は、コロナで減少した利用客の挽回やAIを活用した発注システムの効率化といった課題に挑んでいくと語る井石氏。特に人材確保と定着については飲食業界全体の大きなテーマだ。働きがいについて調査・分析する専門機関GPTWによるランキングで、NATTY AWANKYは4年連続でベストカンパニー賞を受賞するなど、従業員満足度の向上にも力を入れてきた。

 「ブラックなイメージが根強い飲食業界ですが、この10年間で従業員満足度の向上や働き甲斐を持ってもらうことに関してはかなり進んだのではないでしょうか」

 全国展開をさらに進めた先には、海外進出も描いている。コロナ禍の前は、欧米からの観光客からの評判も良かった。

 「人生を懸けてやっているので、ダンダダンの業態でどこまで行けるか挑戦したい。いずれは世界へ発信できるブランドに育てたいと思います」

 今やニューヨークやパリでは、中華料理としてではなく日本料理としての餃子が少しずつではあるが浸透しつつあるという。餃子文化を世界に根付かせるパイオニアとして、あの力強い看板の文字が海外で見られる日が期待される。