髙松孝年・髙松建設社長が語る同族経営の強みとは
(画像=髙松孝年・髙松建設社長/経済界)

インタビュー

髙松建設の髙松孝年社長は創業者の次男の次男にあたる。そして持ち株会社である髙松コンストラクショングループは、髙松社長を含む従兄弟4人が取締役で、創業者の長男の長男が社長を務める典型的な一族経営だ。その強さについて、髙松社長に語ってもらった。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)

髙松孝年・髙松建設社長プロフィール

(たかまつ・たかとし)1970年生まれ。94年関西学院大学商学部を卒業し積水ハウス入社。98年髙松建設に転じ13年取締役、14年副社長を経て18年社長に就任。今年4月から髙松コンストラクショングループ副社長を兼務。

第三世代4人がグループ役員

―― 建設会社には創業家の名前が入った会社が多く、髙松建設もそのひとつです。まず最初に、創業者との関係を教えてください。

髙松 髙松建設は1917年の創業です。創業者は私の祖父の髙松留吉です。留吉には2人男の子がいて、長男が現在、持ち株会社の髙松コンストラクショングループ(以下TCG)名誉会長の髙松孝之、次男が髙松建設社長、会長を歴任した髙松孝育で、私は孝育の次男に当たります。長男の髙松孝嘉はTCG副会長です。伯父の孝之にも2人の男児がいて、長男の髙松浩孝がTCG社長、次男の英之はTCG取締役です。私は髙松建設社長でTCG副社長も兼務しています。

―― 男の従兄弟全員がグループにいるわけですね。家訓のようなものはありますか。

髙松 ないですね。というのも伯父が21歳、父が19歳の時に祖父が急逝、会社を継ぎました。ですからわれわれ世代は誰も祖父のことを知りませんし、父世代も祖父から経営を学ぶことはほとんどできませんでした。

堅実経営は祖母の影響

―― 髙松建設は堅実経営で、バブルの時も不動産投資などをほとんどやらなかったといいます。そうした企業文化はどうやって醸成されたのですか。

髙松 祖母の影響だと思います。祖父が社長だった時代、祖母は経理をやっていました。非常に堅実な人で、例えば売り掛けを嫌うとか、回収に徹底的にこだわるといった教えを父たちは受けたそうです。ですから髙松建設は昔から手形を使わない現金決済です。最近になってTOBのために借り入れをしていますが、数年前までは事実上の無借金経営でした。これも祖母から引き継がれたものだと聞いています。このような堅実な祖母の気質を父は受け継いだようです。一方祖父は、親分肌というか、地域社会への貢献に熱心な面もあり、男気のある人だったそうです。その気質を伯父は受け継いだと思います。

 ですから伯父と父で経営していた時には、伯父がアクセル役、父がブレーキ役でした。そのバランスがよかったから、ここまで成長してくることができたのだと思います。

―― 髙松社長は小さい頃から親の後を継ごうと考えていたのですか。

髙松 全く意識しなかったわけではありませんが、社会に出てから真剣に考えるようになりました。大学を卒業して就職先を決める時も、いずれ髙松建設に入るかどうかは別にして、自分で進路を決めようと思い、積水ハウスにお世話になりました。積水ハウス時代には岡山に配属となりました。大阪では髙松建設のCMが流れていますが、岡山のテレビでは流れていない。情報が分断されていたこともあって、この時は自分が髙松家の人間であることを忘れて仕事に没頭できました。

―― どういうきっかけで髙松建設に入ったのですか。

髙松 結婚をした時に、帰ってこないかと父から言われたのがきっかけです。

―― 27歳で入社して、取締役になったのは39歳の時です。そして髙松建設社長になったのが3年前で47歳。世襲社長としてはけっして早いわけではありません。

髙松 髙松建設の社長は、伯父と父が続けて務めていますが、父が退任してから私が就任する間に、髙松家以外の人間が2人、社長となっています。

 同族経営の中には、若い時から息子に社長を経験させるケースも珍しくありません。しかし当社の場合はそうではありませんでした。じっくりと成長するのを待っていてくれました。

髙松孝年・髙松建設社長が語る同族経営の強みとは
(画像=経済界)

社長を目指した理由は「いい会社にしたい」から

―― 髙松社長は創業者から見たら次男の次男です。社長になれると思っていましたか。

髙松 なれるかどうかは分かりませんでした。父もよく「社長の息子だからといって必ずしも社長になれるとはかぎらないし、そうしなければならないわけではない」と言っていました。でもなりたいとは思っていました。社長というのは企業のドライバーです。自分でハンドリングしてみたかった。

―― 社長になって何をしたかったのですか。

髙松 いい会社にしたかったのです。髙松建設にはいいところがたくさんありますが、完璧ではありません。当社と同じ頃に創業した会社の中には、もっと大きく成長した会社もたくさんあります。規模を追求するわけではありませんが、いい会社であれば世の中から必要とされ業績も伸びる。ですからサービスの質を向上させたり、ものづくりの仕組みを改善して、もっといい会社を目指す。社長になった今、それに取り組んでいます。

―― 父親からはどのようなことを学びましたか。

髙松 社長就任にあたり父から言われたのはただひとつ、会社を継続すること、でした。父は1990年に髙松建設の社長に就任し、2010年に会長を退任しましたが、この間、日本経済はずっと悪かった。

 でもその逆風の時代に上場し(1997年)、2002年に青木建設(現・青木あすなろ建設)をM&Aしています。それだけを見ると積極経営のように思えますが、本質は先ほど言ったようにブレーキの人で堅実経営です。身の丈にあった経営をして無理は絶対にしない。それを目の当たりにしてきました。

 今は当時に比べれば経営環境ははるかに良いのですが、それでも一時の完全な追い風の時代が終わり、凪の状態に入っています。今後逆風が吹くかもしれません。でも父の背中を見てきただけに、そういう時こそ、私としては力が発揮できるのではないかと考えています。

―― 今年4月には創業者の長男の長男、髙松浩孝氏がTCG社長に就任しました。これでTCG、髙松建設ともに第三世代の人間がトップに立ちました。グループは新しい時代に突入しました。

髙松 TCGグループの新しい幕開け、新しい時代の到来です。浩孝氏と私は同学年でお互いのことをよく分かっている。彼は銀行で勤めたあと貿易会社を起業するなど、国際感覚がある。英語も中国語も堪能な優秀な人物です。今後はTCG社長として、グループ全体の調和を取っていきます。私は彼より建築業のキャリアが長いので、髙松建設をもっと成長させてグループを牽引していく。そういう役割だと考えています。兄ともう一人の従兄弟の4人で、適材適所で役割を果たしていければいいですね。

「逃げられない」が社員と顧客に与える安心感

―― 同族経営であることのメリットをどう考えますか。

髙松 メリットかどうかは分かりませんが、私たちは逃げることができません。ベンチャー経営者の中には、会社をある程度大きくしたら、会社を売って、違うことを始める人もいます。それを否定はしませんが、われわれのような人間は、逃げることが許されない。でもそのほうが、取引先や社員にとっては安心なのではないでしょうか。

 髙松建設が発展したのは提案型営業という手法を取り入れたことです。土地を相続したけれど相続税を払えない。このままでは先祖代々引き継いできた土地を手放さなくてはならない。こういうお客さまに対して、われわれは賃貸マンションを提案してきました。多くのお客さまが土地を守ることができ、喜んでいます。お客さまの信頼を得るためにもわれわれが継続性を重視している会社であることは重要だと考えています。

―― 今後も同族経営は続いていくのでしょうか。

髙松 それは分かりません。相続が進めば株はどんどん分散していきます。ですから資本による支配を続けることはできません。でもトヨタ自動車は創業家の持ち株比率はきわめて低いのに、豊田章男さんが社長を務めています。それは経営者としての能力を周囲が評価したからです。そのように、髙松家の中に優秀な人間がいれば経営に携わればいいと思います。

時代が変わっても続けていくこと

―― 時代とともに企業は変化していくものです。でも変えてはいけないこともあると思います。髙松建設の場合、それは何ですか。

髙松 建設会社の中には古い歴史がある会社がたくさんあります。われわれのグループ会社の金剛組は、今年で誕生して1443年です。髙松建設の社歴も100年を超えていますが、建設会社の中では若い会社、つまりベンチャーです。そんな会社が実績を残していくには、大手と同じことをやっていても仕方がない。自ら市場を開拓していく必要があるのです。それが先ほど言った提案型営業です。

 これは非常にうまくいき、髙松建設を大きく成長させました。その結果、一時は施工物件の9割が賃貸マンションという時代がありました。強みを生かすという意味ではいいのでしょうが、あまりにも偏っているのは経営的に不安定です。そこで今までは手掛けてこなかった建設にも携わるようにしてきたお陰で、現在は賃貸マンション比率が5割を下回っています。

 このように、変わることを恐れず、フロンティアスピリッツを持って選択と集中を繰り返していく。そうやって新しいマーケットをつくりながらわれわれも成長していく。これは時代が変わっても守っていかなければならないことだと考えています。