社長になれなかった松下家3代目がパナソニック取締役を去る日
(画像=Maksym Yemelyanov/stock.adobe.com)

パナソニックの前社名は「松下電器産業」――。社名変更から10年がたち、そのことを知らない人も増えてきた。来る6月には、松下正幸副会長が取締役を退任、ボードから松下家が一人もいなくなる。昨年100周年を迎えたパナソニックから、松下家がフェードアウトしつつある。文=関 慎夫(経済界電子版より転載

松下家3代目、松下正幸副会長の取締役退任の意味

「おかしなやつ」を執行役員に選任

 また一つ。松下の名が消えた。

 2019年2月28日、パナソニックは来期の役員人事を発表した。注目の一つは、執行役員に馬場渉氏が就任すること(4月1日付)。馬場氏はまだ41歳と、現任および新任執行役員の中で最年少。しかも生え抜きではなく、2年前、SAP副社長から転身し、ビジネスイノベーション本部副本部長に就任。18年から本部長を務めている。

 馬場氏には津賀一宏社長も大きな期待を寄せる。1年前、津賀氏は本誌のインタビューで、馬場氏のことを次のように評していた。

 「馬場さんはSAPから来たかなりおかしなやつです。そういう人がこの会社では幹部やリーダーを務めることができる。裃を着たいい子面した人だけがこの会社を経営しているのではないことを示していく」

 馬場氏が本部長を務めるビジネスイノベーション本部は、パナソニックの新しいビジネスモデルをつくる組織。馬場氏はこれまで縦割りだった組織を横展開することで、イノベーションを起こそうというもので、シリコンバレーに常駐し、ベンチャー経営者などと交流を持ちながら、パナソニックの新しい可能性を模索している。

 2012年に社長に就任した津賀氏は、「家電のパナソニックからB2Bのパナソニックへの転身」を宣言、大変革を断行した。

 それは人事においても同様で、かつて松下電器(現パナソニック)に入社しながら退職し、その後、マイクロソフト日本法人社長を務めた樋口泰之氏を代表取締役として迎い入れるなど、過去にはない大胆人事を行ってきた。

 馬場氏の最年少での執行役員就任で、「パナソニックのリーダーは社内で育成するだけでなく、社外からも登用する」という津賀社長の姿勢が一段と鮮明になった。

松下を二分した創業家の世襲問題

 馬場氏の就任を伝えるニュースリリースには、もう一つ、変わりゆくパナソニックを証明する人事が掲載されていた。松下正幸副会長の取締役退任である(6月27日付)。

 正幸氏は松下家3代目。松下電器創業者である松下幸之助氏を祖父に持ち、父親は2代目社長で幸之助氏の女婿・松下正治氏。豊田家3代目の豊田章男・トヨタ自動車社長と同じ立場だ。ただし正幸氏は章男氏と違い、パナソニックのトップに座ることはなかった。

 正幸氏は1945年生まれ。慶応大学経済学部を卒業し松下電器に入社。取締役に就任した時はまだ40歳。40歳で取締役にしたのは幸之助氏の方針だった。

 このことからも幸之助氏も正幸氏への期待の大きさが分かる。その後、正幸氏は44歳で常務、46歳で専務となり、社長に向かって一直線に上っていく。

 しかし社内の評価はそうではなかった。正幸氏は洗濯機事業部長やエアコン事業本部長などの仕事をそつなくこなしている。

 もっともそれは、傷がつかないよう、松下電器が圧倒的に強かった事業を担当させたおかげ、というのが衆目の一致するところ。

 それよりも、「昼食を役員室で一人で食べる」といった具合に、自ら社員との間に壁をつくっていった。祖父・幸之助氏が、何かあれば現場の社員を直接呼んで、現状を聞く姿勢と正反対の態度に、社員は不安と不信を感じ、「3代目は社長の器にあらず」と見ていた。

 当時の正幸氏に「松下幸之助の孫に生まれてよかったことは」と聞いたところ、「若い頃から超一流の人たちにお目にかかることができた。これはとんでもない財産です」との答えが返ってきた。しかし大物の知己は得ても、社員の心の機微はつかめなかったということだろう。

 そんな正幸氏を社長にすべく奔走したのが、当時会長だった正治氏とその妻で幸之助氏の長女・幸子氏、そしてその取り巻きだった。正幸氏の社長就任は松下家にとって悲願だった。

 社内の大半は世襲に反対、経営に影響力のある松下家は世襲に賛成、この両者の対立は、松下電器の経営に大きな影を落としていく。

社長になれなかった松下家3代目がパナソニック取締役を去る日
(画像=経済界)

パナソニックの経営から消えゆく松下創業家の影響力

正幸氏世襲を巡る創業家との対立

 幸之助氏が94歳でその生涯を閉じたのは1989年。だからというわけではないだろうが、それ以降、松下電器の業績は悪化する。国内はバブル経済が崩壊し消費低迷時代に突入した。その一方で急速に円高が進み日本経済を支えてきた電機業界および自動車業界は大打撃を受けた。

 バブル崩壊と円高は他社も同じだが、松下電器の場合、これに加えてナショナル・リース事件と欠陥冷蔵庫事件によってさらに傷ついた。

 ナショナル・リース事件とは、バブルの最中、料亭の女将に融資をし、500億円が焦げ付いたというもの。また欠陥冷蔵庫は、コンプレッサーの不具合で、松下製品だけでなく部品を提供していた他社製品にも影響が出た。さらには90年に米映画メジャー、MCAを7800億円で買収したものの統治できず、5年後に売却、多額の損失を出した。

 こうした一連の出来事で、松下電器の屋台骨は大きく揺らいでいく。しかも不祥事を世襲実現のために利用しようとする動きもあり、社内はさらに混乱した。

 96年、正幸氏は副社長に昇格、社長まであと一歩となった。当時の社長は森下洋一氏。森下氏が次期社長に正幸氏を選ぶかどうかに注目が集まった。

 そうした中、97年に事件が起こる。主役は、かつて25人抜きで社長になったことで知られる山下俊彦氏だった。

 当時相談役の山下氏は、あるパーティの席上、取り囲んだ記者に対し「幸之助氏の孫というだけで、副社長になるのはおかしい」と、正幸氏には能力がないと語ったのだ。この発言はすぐに報道され、大きな話題となった。

 山下氏はこの発言の真意を語ることはなかったが、恐らく社員の気持ちを代弁すると同時に、暴走する創業家への牽制だったのだろう。世襲反対派はこの発言を大いに歓迎した。

 その効果もあったのか、2000年4月の社長交代会見で、森下社長の横に座ったのは、正幸氏ではなく、専務の中村邦夫氏だった。正幸氏は副会長に就任。いわば「上がり」のポストで、これにより松下家への大政奉還の道は断たれた。また会長だった正治氏も代表取締役相談役名誉会長に退いた。

 以降、松下電器における松下家の影響力は、徐々に小さくなっていき、08年には社名をパナソニックに変更、松下の名が消えた。

社長になれなかった松下家3代目がパナソニック取締役を去る日
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100周年を機に取締役退任の申し出

 当時社長の大坪文雄氏は「パナソニックがグローバルブランドとして成長するための社名変更で、創業家の了解も得た」と語っていたが、もし正幸氏が社長となり、引き続き松下家が影響力を持ち続けていたら、社名はそのままだった可能性は強い。

 12年には正治氏が99歳で死去。17年には正幸氏が代表権を返上。そして今年6月、取締役を退任する。

 退任は本人からの申し入れで、「勤続50年の良い節目」(正幸氏)との理由だ。

 さらに昨年、創業100周年を見届けたことも大きい。今後は特別顧問に就任するが、財界活動は引き続き行っていく。正幸氏は関西経済連合会副会長を07年から務めており、2月上旬に開かれた関西財界セミナーでも元気な姿を見せていた。

 パナソニック101年の歴史の中で、松下家の人間が取締役会のメンバーからはずれるのはこれが初めてだ。

 ただし、松下家との縁が切れるわけではない。というのも、正幸氏の長男が、11年にパナソニックに入社しているからだ。

 もちろん今の時代、松下家というだけで優遇されるはずがない。出世の階段は実力で上っていくしかない。

 そう考えると、将来にわたって大政奉還となる可能性はかぎりなくゼロに近いと言っていい。松下家の存在感は徐々に消えていくのだろう。

 11年前に社名から松下の名をはずすとの報告を受けた正幸氏は、「創業者の経営理念が伝わりにくくならないようにはお願いしたい」と当時の大坪社長に要望した。正治氏も正幸氏もボードに存在することで、創業理念を考えるきっかけになっていた。

 松下家がはずれた今後、いかにして理念を引き継いでいくのか。次の100年に向かっての大きな課題である。

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