シミュレーションの極みへ建築の宿命に抗する 日建設計 亀井忠夫
亀井忠夫 日建設計会長 (画像=経済界)

住友本店臨時建築部としてスタートし、今年創業122年を誇る日建設計も仮想空間の活用を進めている。メタバースは現実の設計監理や都市開発、そしてアーキテクチャの創造性にどこまで影響を与えるのか、亀井忠夫氏に聞いた。聞き手=金本景介 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2022年10月号より)

亀井忠夫 日建設計会長
かめい・ただお 1955年兵庫県生まれ。77年早稲田大学理工学部建築学科卒業、78年米ペンシルべニア大学大学院修士課程修了。Hellmuth, Obata and Kassabaumを経て81年に日建設計に入社。2021年より現職。建築家として東京スカイツリーの設計統括も担当。

建築の体験と都市の記憶

―― 建築は物理的制約を乗り越える新素材の開発とともに進化してきましたが、メタバースでは建築家の理想をそのまま実現できます。リアル建築への影響をどのように見ますか。

亀井 メタバースでは重力の影響を受けずに空間全体をコントロールできます。メタバース内の建築物をそのままの形で現実に建てるのは難しいにせよ、このシミュレーションの過程でインスピレーションは生まれるはずです。建築や都市のあり方を考える契機になるかもしれません。

 例えば、映画『ブレードランナー』において上空では高層ビルが並び、地上ではアジア的な雑踏となっている対比的な異次元空間があります。私を含め、この独特な世界観からインスパイアされた方は少なくないと思います。同様に、メタバース上で異なる世界観が入り混じることは新たな刺激になるでしょうね。

―― メタバース内建築とリアルの建造物の違いは何でしょうか。

亀井 それぞれに異なる評価軸があるはずです。リアルの建築空間は五感を通して感じられるものです。視覚、聴覚、触覚、嗅覚など、つまり身体性が重要です。この身体性はそのまま「建築の体験」につながっています。例えば、実際に旅行でその土地のヘリテージを巡って食事をしたり、暑い中で苦労しながら坂道を上ったり雨に降られたり、そういう身体全体の体験を通して建築と都市は記憶されます。

 現時点でのメタバースの場合、視覚と聴覚はかなり再現性が高いですが、嗅覚や触覚に関してはいまだ開発途上かと思います。当然、今後メタバースが現実の身体体験に近づいていく可能性は大いにあるにせよ、まだ代替できるには至っていません。

―― 実際の建築家にメタバース建築を頼む実例もありますが、物理的制約がない以上、建築家以外でもメタバース建築をつくることは可能です。

亀井 リアルの場合は、建築基準法などの法律を遵守する必要があり、構造や設備のエンジニアリングも考慮しなければなりません。メタバースの場合、そのようなことから解放されます。なのでメタバースにおける建築家の役割とは、一体何なのだろうという話にはなっていくかもしれません。

 しかし、生身の人間が存在する限り、食べるという行為や医療をはじめ、さまざまな現実の活動があり、そのためのリアルの空間が必要なわけです。このようなリアル空間を計画する上で、メタバースはとても有用です。これをいかに役立てていくかというのが当社の役割だと考えています。

スクラップ&ビルドの自由。メタバースによる合意形成

―― デジタルツインのように現実に似た世界をメタバースに再現し、設計や都市計画に役立てるのでしょうか。

亀井 実際に現実の建物を破壊するのは簡単ではありませんが、メタバース世界であれば破壊することも含めて試行錯誤が簡単にできることになるわけです。自由自在にシミュレーションができるという点がメタバースの魅力になります。

 今までのCADやBIMを活用した3Dモデルでの確認とは異なる有用性があります。メタバース空間の中で、実際に人々のコミュニケーションを交えたアクティビティの再現が可能で、それに対しての空間のトライアンドエラーができることです。さらに建築物がいかに古びていくかなど、時間軸を自由に操れるという点が面白いですね。廃墟になる過程まで見ることができます。

―― 完成後だけでなく、建設中の建物にも応用ができそうですね。

亀井 現在の渋谷の再開発プロジェクトもそうですが、大規模な開発計画はスタートから20年以上の長期間にわたることも多くあります。そうすると開始時点とその最終段階では社会状況も大きく変化しています。今までプロジェクトを進める時には10年後の事を決めるのは、一か八かというニュアンスもありました。もちろん工事が始まってからでも変更は不可能ではありませんが、デジタルツインのメタバース空間でのシミュレーションを行うことで、早い段階から先を読みながら、計画内容を検討し見直すことができます。実際にメタバース空間に人を入れることで、ビジネス活動を含めたシミュレーションも可能です。

 メタバース上でこまめにシミュレーションを確認しながら、現実世界での開発計画にしっかりフィードバックしていきます。工事が開始した後も、よりリアルな見直し検討が可能となるでしょう。

―― 高精度のシミュレーションとしてメタバースは役に立つのですか。

亀井 建築には一般の製品とは異なった宿命があります。基本的には土地や建築主に帰属した一品生産です。自動車を購入する際にはショールームで完成品を比較して吟味できますが、建築はそうはいきません。綿密な計画はすれども、さまざまな選択肢の中から不可逆的な決断をして、創り上げる必要があります。ですから、シミュレーションにはしっかりと時間と予算をかける意義があり、ここでメタバースを利用するのは非常に有効だと思います。

 さらにメタバースは再開発計画における合意形成にも活用できるはずです。街の再開発では道路を一つ通すだけでも、さまざまな意見が出てきますから、誤解を生じないように分かりやすく内容を説明していく必要があります。しかし、言葉や図面だけでは正確なイメージを喚起することは難しい。

 その点、メタバース上のシミュレーションが果たす役割は大きいですね。もちろん再開発によるメリットだけでなく、問題点も含めて明瞭になります。行政もメタバースを活用した説明を導入すべきだと強く思います。

―― メタバースによりリアルの魅力が引き立つ側面は否めません。

亀井 メタバースはより活用されるべきですが、リアル空間にはかけがえのない価値があります。現実を補完しながら、新たなクリエイティビティをもたらすのがメタバースです。