乱世こそリーダーは御旗を振って先陣を切れ ティーケーピー 河野貴輝
河野貴輝 ティーケーピー社長 (画像=経済界)

危機こそトップの資質が問われる。貸会議室事業大手のティーケーピーは、2005年の創業以来、幾度も危機を乗り越えてきた。設立4年目にはリーマンショックでひと月に1億円の赤字を出した。設立7年目には東日本大震災で5億円近いキャンセルが出た。20年から続くコロナでも、緊急事態宣言発令の影響で約90億円のキャンセルが生じた。河野貴輝社長が語る、リーダーシップの極意とは。聞き手=和田一樹 Photo=西畑孝則(雑誌『経済界』2022年9月号より)

河野貴輝 ティーケーピー社長
かわの・たかてる 1972年生まれ。96年慶應義塾大学商学部卒業後、伊藤忠商事為替証券部を経て、日本オンライン証券(現auカブコム証券)設立に参画、イーバンク銀行(現楽天銀行)執行役員営業本部長等を歴任。2005年8月ティーケーピー設立、社長就任、現在に至る。

360億円を確保する緊急事態、冬眠の備え

―― 貸会議室やイベント会場の運営、オフィスのレンタルが事業の柱ということで、コロナの影響は大きかったかと思います。

河野 ダメージは大きかったです。貸会議室事業ではキャンセルが続出し、売り上げが激減しました。それでも、家賃は払い続けないといけません。グループ全体で1千名を超える社員の給料も合わせると、運転資金として、毎月約30億円が必要でした。正直に言えば、私自身も怖さがなかったわけではありません。

 ただ、ティーケーピーはリーマンショックも東日本大震災も乗り越えてきました。自分たちだけではどうしようもできない状況を、身をもって経験しています。そんな時は、じたばたしても意味がありません。思い切ってクマのように体温を下げて「冬眠」しようと決めました。冬眠前のクマは脂肪をため込みます。企業でいえば、現金を蓄えることです。

 当時の手持ち資金は約80億円。これは平時であれば十分な金額です。しかし、コロナの影響はどれだけ続くかわからなかった。毎月30億円の赤字が出ても、とにかく1年間は耐えられるように、360億円の現金を確保すると決めました。

 それが20年3月中旬のことです。当時の日本政府は、3月13日に成立した新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づいて、緊急事態宣言の検討を始めていました。宣言が発令されれば銀行の業務にも滞りが出て融資どころの話ではない。また、他の企業も運転資金の確保に動くだろう。これはスピード勝負になる。そう直感しました。

 何としても緊急事態宣言前に資金調達を完了させるべく、即断即決で金融機関に働きかけました。三井住友銀行から100億円、みずほ銀行から50億円、合わせて150億円の資金調達枠を4月10日までに確保しました。

―― 日本で最初にコロナ対策を目的とする金融機関からの資金調達にめどをたてたのがティーケーピーでした。

河野 われわれの後には、航空会社が大規模な融資を申し込んだこともあり、金融機関からは、少し遅かったら融資は難しかったかもしれないと言われました。

 緊急事態宣言は4月7日に東京や神奈川などの7都府県に発令され、16日には全国に拡大されました。もし動くのが1日でも遅ければ、運転資金の確保がスムーズに進まなかったはずです。スピード感が、その後を大きく左右しました。

 ほかにも、約100億円規模の不動産売却を銀行と調整しました。調達枠で150億円、資産売却で100億円、手持ち資金の80億円。合わせて約330億円を緊急で用意したのです。さらに、事業で連携しているアパホテルに約18億円分の優先株を発行するなど、着実に資金を厚くしていきました。

―― 事業への影響や株価の下落を受け社内の雰囲気はいかがでしたか。

河野 社員にも不安はあったと思います。私も何とかみんなを安心させるように、資金調達のめどが立ったところで「家賃を払っている分の損失が出るのは仕方がない。資金は用意したから会社の存続は問題ない」と、全社に向けてメッセージを出しました。

 実際に21年2月期に約35億円、22年2月期に約32億円、合わせて約67億円の純損失が出ました。そのため、MSワラントで約83億円を調達しています。結果的に私の持ち株比率は65%から55%まで下がりましたが、これは仕方のないことです。社員たちは、コロナ前のようにスペースを貸し出すことが難しくなっても、オンラインを活用した表彰式等のイベント運営を模索してくれたり、新しい事業としてサテライトオフィスに関する事業の準備をしてくれたりと、前向きに頑張ってくれました。

 バランスシートを見れば、2年前よりも状態が良くなっています。不動産売却によって借金が減り、自己資本比率も高まりました。また、レストラン事業や海外事業を売却して赤字部門はそぎ落としましたので、筋肉質な組織になっています。

 21年度決算の第2四半期には、ティーケーピー単体で黒字に戻すことができました。今期も、4月から6月まで新入社員研修や新卒採用の面接会場として受注が戻り始めています。コロナ前に比べたらまだまだですが、それでも今期の黒字化には十分な売り上げが想定できそうです。2年以上かかりましたけど、何とか冬眠から覚めて、トンネルから脱出できたのかなと思います。

平時のシステムは当てにしない

―― 危機のリーダーシップで心掛けていることは何でしょうか。

河野 自分が御旗を掲げ先陣を切ることです。乱世は不安だからみんな様子をうかがって躊躇します。そんな時にリーダーが人任せで平然としていたら会社はあっという間につぶれてしまう。そんなトップには、誰もついてきません。

 もちろん平時ならば、収益が上がる仕組みを作り、しっかり人に任せればいいわけです。われわれも17年に上場してからコーポレートガバナンスをより一層求められてきました。社内の制度を整えながら、トップが事細かに指示を出さなくても機能する組織を構築してきました。ただ、乱世なのに平時のシステムを当てにするのはナンセンスです。これは私がオーナー社長だということもあって、余計に感じることかもしれません。

 先ほど、じたばたしないで冬眠することを決めたと言いましたが、巣穴の中でも、ずっと世の中の様子を観察していました。ここだ! というタイミングで反転攻勢を仕掛けるときも、リーダーが先陣を切って飛び出さねばならないからです。

 象徴的なのは、ティーケーピーの会議室を新型コロナウイルスワクチンの職域接種会場として無償提供することを決めた時です。21年5月、コロナワクチンの接種を大規模に進めることが日本全体の課題でした。これはわれわれの出番だ。今が仕掛けるときだ。そんな直感がありました。

 5月下旬、すぐに経営会議にかけました。会議の数日後、スポンサーを務めているJリーグ大分トリニータのホームゲームがあったので、私は大分県に行っていました。5月29日に大分に到着し、試合は翌日の14時からです。現地で取材等の仕事もたくさん入っていましたので、順番に対応していたところ、官邸から呼ばれました。急遽、予定を切り上げ、試合観戦も諦めて東京に戻り、30日の夕方には官邸で菅義偉首相(当時)と面会しました。

―― 経営会議から1週間以内で首相と面会していますが、以前から官邸とつながりがあったのですか。

河野 ありません。ここで動くべきだと判断し、あらゆる方法を探ってたどり着きました。菅首相には、ワクチン接種が進むようにお手伝いをしたいと話し、自前の診療所を持たない企業に向けて無償で貸会議室を提供する計画を伝えました。

 それから3週間後には職域接種センターを始めることが決まりました。厚生労働省に特例でティーケーピーの会議室で医療行為ができるように申請を行い、ワクチン接種センターとして稼働させました。会場提供はトータルで20施設以上となり、1500社、100万人へのワクチン接種のお手伝いができました。各企業の人事部や総務部との関係性も深まり、今後の事業につながる縁が生まれました。

 乱世こそトップが旗を振る。危機のリーダーシップは、これに尽きると思います。

オフィス需要の変化をとらえキックアンドランで挑戦する

―― 資金調達のお話も含めて、即断即決が際立ちます。

河野 大切なのは、決断力より行動力です。私はよく「キックアンドラン」と言っていますが、まずはボールを蹴り出すことです。あとはみんなでボールを追いかけてゴールを決めればいい。考えるのは走りながらでもできますから、オフサイドなんか気にしていられません(笑)。

 冬眠から目覚めたティーケーピーは、新たなチャレンジを行っていきます。コロナ前は貸会議室やイベント会場向けに場所を提供するハードビジネスが中心でした。コロナの経験で、ハードがなくてもオンライン上でイベントを成功させるソフトのノウハウが蓄積されています。今後はこれまで通りスペースを貸し出しながらも、顧客ニーズに応じた新たな周辺事業を積極的に展開し、企業の人的資源に関わる総合的なサービスの提供を実現していきたいと思っています。

 また、ハードの運用にも柔軟性を持たせます。コロナを受けて、オフィスに対する考え方も変化しています。われわれは、18万坪以上の貸会議室やレンタルオフィスを展開しています。これまで通り、オフィスを長期契約することが当たり前という考え方は薄まり、フレキシブルオフィスとしての貸し出しも増えるでしょう。

 これらの取り組みも、キックアンドランの姿勢を失わずに果敢に挑んでいきたいと思います。朝礼暮改も気にしません。それができる経営者でないと、この局面は乗り切れないでしょうから。